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奥田雅楽之一の日記です
週一回更新の予定です

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2011/12/27 平成23年の結びに

12月も27日を数えました。

今月はかなり物事が立て込んで、
当頁の更新に辿り着くまでの暇と気力がありませんでした。
そして、当回をもって今年最後の更新になると思います。
全くの筆不精をお詫びします。

まずはじめに…写真を更新しました。
先の唯是震一作品演奏会の模様、
それから先日の東京試験受験生達との一枚、
そして今年は結びにファミリーの一枚を載せておきます。
中島靖子、唯是震一、初代家元夫人中島禮子、
三者三様の元気な姿を
一人でも多くの皆様にご覧頂ければと思う次第です。

それから、1月5日〜16日まで、外国にいますので、
お知らせ申し上げます。

今年は、再三再四触れてしまいますが、
三月の東北沖大震災以降、
日本中がパニックというのかショックというのか、
何にせよ震災を中心に事が運びましたので、
気持ちの上で平静でなかっと思います。
私も迷惑を覚悟で福島県へ乗り込み、
震災の惨状を目の当たりにして心に迫るものがありましたが、
あそこで目にしたもの、
経験したことは絶対に忘れてはいけないと思い、
自分が被災地へ行ったことを
今後のプラスに転じようと努めています。

今、今年の手帳を広げてパッと振り返っていますが、
今年は地方遠征が例年以上に多かったようで、
地方では沢山の方とご縁が出来、
又、私のライフワークでもあります
『三味線の奥深さをお一人お一人にお伝えする』
足掛かりを作りました。
それから…そうそう、
7月にはアメリカへ行って、
現地の仲間と深く交流したことが印象に残ります。
演奏会の成功は勿論ですが、
同志と手を繋いで
未来へ臨む結束を強められたことが嬉しかったです。
その足で立ち寄ったニューヨークも
私にとってはニュー(NEW)でした。
出演した演奏会の総数、
これは大体去年と同数くらいの様ですが、
10月に玉三郎丈の舞台を務めた関係で
毎日胡弓を演奏させて頂き、
玉三郎丈のご指導も仰いで、
胡弓という楽器の奥深さと難しさを改めて知ったことは
今後私の財産になりそうです。
これからは胡弓の弾き手を増やしていかないと
将来私一人では舞台も務め切れなくなるかもしれないので、
そういった問題点も少しずつ解消していかねばと思います。

プライベートでは相変わらずの一人者で、
もう笑うしかないですが、
作れる時は三食ちゃんと作って食べて、
健全にやってます。
今年はヨーロッパへ行かなかった分、
心労で荒(すさ)んでしまった心のオアシスを求めました。
そこへ知人の御厚意が舞い込み、
N響の定期公演に通い始めました。
お陰様で、まだ生で聴いたことのない
名曲の数々を聴く機会に恵まれ、
特に、12月のNHKホールでの
マーラー交響曲第8番では積年の夢が果たせ、
もう胸が一杯になりました。
ああいう感動を仕事の中で得ることは難しいので、
音楽家は、やはりプライベートとというのか、
趣味の世界での充実が専門職に大きく反映することを再度痛感しました。

本年の最後に、大切なメッセージを残します。

〜正派邦楽会の会員、並びに同志の皆様へ〜

この度、正派邦楽会は公益認定を日本国に申請中であり、
その結果如何で大きく舵を切ることになります。
正派のホームページも現在そこに備えて休止中になっています。

会員の皆様には、年会費の値上げ、
ご寄付等で負担をお掛けし誠に申し訳なく思っておりますが、
この苦境を乗り切るべく今、
先輩方が叡智を出して作戦を練っているところです。
しかし、本当の意味での解決の道は、
私に近い若年層の結束、
そして次世代の活躍にこそあるのかもしれません。
これからは、先輩方のご指導の下、
次世代がどんどん力を付けて前へ出なければなりません。
今、世の中があれよあれよという間に貧弱になってますが、
こういうピンチだからこそ、私は逆にチャンスだと思っています。
来年は、私もガツーンと一発やるつもりなので、
その時は、無視しなでね。(笑)

本年も一年間、奥田雅楽之一をありがとうございました。
どうぞお健やかに、ご多幸あるお年をお迎え下さいませ。

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2011/11/21 今年の教訓

切実に、毎日色々なことがあります。
ありますがしかし、
持ち前の柔軟な物腰(自分で言っちゃった)で、
小さな土俵を回り込んでいるところです。

今年はTwitterを始めたり、メルマガを始めたり、
ついにアナログ坊やもネットの世界へ
ざぶんと飛び込んでしまった訳ですが、
それもこれも、
キッカケは三月の大地震によるものだったと思えます。
もともと大人しく平凡な生活を望んでいる人間は、
時折刺激を求めているものの、
平素は刺激より安息を求めているのだと、
以前、何かで読んだことがあります。
少なくとも私に関して言いますとそれは全くその通りで、
出来ればじっとして人に迷惑を掛けず、
与えられた責務だけを務めてゆければ、
それが間違いのない生き方なのだと思う節も多々ありました。
でも、それは間違いだったかもしれません。

先の大震災を通じ、動かないことでの罪悪感、
又、じっとしていることで
掛けている人への迷惑にハッと気が付き、
自ら発信することの義務と大切さについて考え始めました。
私がここで言うところの「動く」というのは、
被災地へ行く、行かないといった、
被災した方々へ直接何が出来るかという意味ではありません。
それは、別の意味での、最も大切な行為だと思います。
私がここで言いたいのは、
あくまで各々における、或いは私一個人における、
普遍的なテーマの話です。
Twitterもメルマガも、
大震災による教訓の一つであったと思います。
…と言い切ってしまうのは、
やや押し付けがましい考え方ではありますが、
今後、長きに亘って私の行動が、
世の中で何かのお役に立ててゆくことが出来るのであれば、
それが始めて、教訓であったと言えるのかもしれません。

いつ、どこで、何が起こるかわからない人の世には、
『一寸先は闇』という陰気な格言もあります。
確かに備えはなくはなくてはなりませんが、
それと同等か或いはそれ以上、
天災による教訓を生かしていくことが、
昨今私のテーマになっていることに、いよいよ気が付きます。

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2011/10/25 洋楽マニアのルーツ

今から15年くらい前のことですが、
一年間くらい、毎日図書館へ(それも開館から閉館まで!)
通っていた時期がありました。
それは、約一年くらいだったでしょうか。
私は高校卒業後、特に学校へ通わなかったので、
今思えば行き場がなかったせいもあるかもしれませんが、
毎朝、目が覚めると、
モシャモシャ頭のまま
手ぶらでブラブラ図書館へ通っていたあの頃を、
何だか不思議な気持ちで思い出す今日の自分がいます。

毎日、図書館で何をしていたのかを
(当時と今で余りにも状況が違うので)
他人事のように振り返ってしまいますが、
あの時の私は、
そりゃ勿論図書館ですから本も沢山読みましたし、
勉強場所としても長く使わせて頂きましたが、
本当のお目当ては、まだ他にあったと言えます。

私が住んでいた国分寺市の図書館は、
古いレコード(いわゆるLP)を沢山所蔵していて、
よく考えてみると、
それを聴きあさる為に、通い詰めていたように思います。
しかし何にせよ、
そちらの図書館にはオーディオが三つしかなかったので、
朝一番に行かないと誰かに先を越される様な心配があって
(裏を返せば、私が数時間
 オーディオ占拠しているのですから全く迷惑な話しです)
朝から行かなければならない訳があったのでした。

通った一年の間に、
私は図書館にあった、
ほとんど全てのレコードを聴いたかもしれません。
特に、気に入った音楽は何度も何度も聴きました。
そのうちに楽譜も買ってきて、
アナライズ(分析)したりもしてました。
尤も、その頃は邦楽を辞めていたので、
目指していた作曲家の専門的な勉強の必要性に
駆られていたせいもあったかと思いますが。
…にしましても、
まあ、よくもあれだけ聴いたものと
我ながら感心してしまいます。
あれは、若さなのか、危機感なのか、
病んでいたのか、或いは今の私が病んでいるのか、
何れにせよ、今では到底成し得ない荒業であったと思っています。
その後、こちらの世界(邦楽界)に
舞い戻って来ることになって、
図書館とも洋楽とも段々と疎遠になりましたが、
洋楽は、今でも時々聴いています。

今までレコードで聴いた音楽の、
可能な限りの全てをライブで聴くことは、今の私の夢です。
まだ半分も実現していませんが、
実現する為にコンサートに出掛けて、
方や、実現させない為にレコード屋さんにも出掛けて、
その、どうしようも無い感じを一人で楽しむのが、
私の精神安定剤になっています。

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2011/10/20 中日・落合博満監督を解く

今年のプロ野球セリーグは、中日ドラゴンズが優勝。
ドラゴンズファンの皆さん、おめでとうございます。
今年の闘いは、球史に残る大逆転劇であったといえます。
中日を優勝に導いた落合博満監督は
今シーズン限りでの退任が決まっており、
まさに有終の美を飾ったことになります。
その、落合博満。
現役時代は、前人未到、三度の三冠王に輝く大打者であり、
晩年は我が栄光の巨人軍の4番としてもチームに貢献、
あの伝説の10・8決戦でも、
ホームランを放って巨人を優勝に導いています。
(あれれ、いつの間にか巨人の話に…)
現役引退後、数年間の休養を経て、
落合博満は中日ドラゴンズの監督になりました。
監督就任時の会見で、
「180度、違う野球をやります。」
と発言し、周囲の関心を引き付け、
野球ファンは落合監督の采配に注目する様になりました。

結果から見てみましょう。就任8年間で残した戦績は、
04 優勝
05 2位
06 優勝
07 2位(しかし日本一)
08 3位
09 2位
10 優勝
11 優勝

優勝勝率5割、日本一1回、
しかもBクラスとされる4位以下は一度もなしという、
文句のつけようがない成績を残しました。

そんな中、
落合監督の野球を語る上で忘れられない出来事があります。
07年、日本シリーズ。
中日が日本一を決める試合での出来事。
その日の先発投手は山井、絶好調の山井は序盤から快投し、
気が付けば8回終了時まで完全試合。
(完全試合とは、一人の投手が、
 ゲームセットまで一人のランナーも許さないという、
 十数年に一度あるかないかと大快挙)
野球ファンの多くが、久しぶりの完全試合を期待。
しかし、9回のマウンドに上がったのは山井でなく、抑えの岩瀬。
岩瀬が9回をピシャリと抑えて中日が日本一を決めるも、
落合監督の非情采配に非難が集中し、
その後も賛否両論の舌戦が繰り広げられました。
多くを語らない落合監督。
その時も「あそこは岩瀬。」と言うに留まりましたが、
その心中は、周囲には計り知れない程の
覚悟を決めていたものと察します。
指導者の器量は組織の器量に通ずると言われています。
落合博満監督はファンサービスも少なく、
持ち前のふてぶてしい感じが
多くのアンチを生んでいるのも事実ですが、
私には最期まで選手を信じ、
野球の神様を信じているように見えました。
食うか食われるかの勝負の世界。
勝つという唯一無二の至上責務を果たした
プロフェッショナル落合博満監督の勇退に、
私は心からの拍手を送りたいです。

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2011/10/13 与えられた責任

日生劇場、坂東玉三郎丈の特別舞踊公演がはじまりました。
私どもが出演するのは『楊貴妃』。
ご存じの方も多いと思いますが、作曲は唯是震一です。
ちなみに踊りの振り付けは、
私が昨年、新作『木花咲耶姫』を作曲させて頂いた際の会主、
日本舞踊家・梅津貴昶氏によるものです。
今まで『楊貴妃』が舞台に掛かる際は、
自分は裏方に専念し、
又、そうするものと思って準備をして参りましたが、
今回は、先生方のご厚意により
責任ある胡弓のパートを幾日か与えて頂いて、
計らずも、初舞台を踏むことになりました。
私、大変緊張しております。

私が胡弓(私が専門とするのは、
 宮城道雄考案による、いわゆる大胡弓と呼ばれるものです)
を勉強しようと思いましたのは、
平成16年、
今から7年前のこと。文化庁の国内研修生となり、
一年間勉強させて頂けることが切っ掛けで、
尊敬する森雄士先生に
胡弓のお稽古をつけて頂けることになりました。
当時は、自分が胡弓を舞台で演奏するようになる、
なんてことは想像もせず、
あくまで、芸のプラスαとして必要なことと思い、
真面目に勉強していました。
最初は、楽譜を使わず、
先生の弾いて下さった節を追い掛けるお稽古で、
「はい、弾いてごらん。」
「え、あ、はい。(汗)」
「いや、そうじゃないよ。こう。」
「は、はい、すみません!」
といった具合で、
まあ今考えてみますと、
先生もよく私のような不詳の弟子を
忍耐強くお導き下さったなあと、
今更ながら恥ずかしく思いうところですが、
先生のお陰様で、
何とか舞台に上がれるまでの段階になったものと思っています。

この世界、
とにかく師匠が厳しかろうと、なかろうと、
まず何より自分に厳しくあればこその
芸の上達と言われています。
元々自分に甘い私ですから、
気を付けないと芸も半端なものになるかもしれませんが、
それでは困るので(笑)、
何にせよ、自分に厳しくあり続けることだけは
一生の責任と思って、心掛けてゆきたいです。

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2011/9/27 メルマガnoichiの行方

当方制作・監修によるメールマガジン『メルマガnoichi』は、
お陰様で第四号までを配信させて頂きました。
(届いていらっしゃいますか?)
誠に恥ずかしながら、肝心のメルマガは未だ試行錯誤の続く状態でありますが、
配信の御希望を下さった皆さまに、
責任者である私は勿論、携わる編集部一同、
御厚意に心から感謝しております。
本当に有難うございます。
これからも頑張れそうです!
世間におけるメルマガnoichiの役割と意義をニたび三たび再検討し、
私も身の程をわきまえながら、
楽しく中味のあるメールマガジンを制作していければと思っております。

ここで、そのメルマガに関しまして、幾つかご報告があります。

私のウェブサイト上で、
第一号、第二号のメルマガが見られるようになっています。
これはサンプルとして、今後もウェブ・サイト上に残しておきます。
メルマガnoichiは、不特定多数の方々を対象とすることに重きを置かず、
あくまで配信の御希望を頂いた方々にのみお送りすることで、
編集部と読者が近く、
ご意見ご要望が反映し易い環境を育んでゆければと思っております。

メルマガのメールアドレスは引き続き
と致しております。
「今回は楽しかった」
「つまらなかった」
「読みづらい」
「もっと○○にしてほしい」
「写真が少ない(多い)」etc…
何でも結構です。
ご意見、ご感想をお寄せ下さいますと、
編集部一同、大変参考になりますので、
お気持ちが向いた際にどうぞよろしくお願いします。

次回のメルマガnoichi第五号は特集。

『野坂操壽×奥田雅楽之一』をお送りさせて頂きます。

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2011/9/9 10年前のお手紙

私が今年で32歳になったということは、
正派初代・家元が亡くなって32年が経ったということになります。
私が生まれたのが6月、
家元が逝去したのが8月、
たった二ヶ月ですが、曾祖父と緒にいられたことが私の誇りであり、
その事実に今日までどれだけ励まされたかわかりません。
昭和54年9月2日、
家元の告別式は青山斎場において執り行われました。
生前、家元に縁のあった数え切れないほど大勢の方々が参列し、
日本屈指の青山斎場も抱え切れないくらいの人で溢れ返ったそうです。
それ程に中島雅楽之都(なかしまうたしと)は人望厚く、
古典芸能の世界に欠かすことのできない大人物であったのだと思います。
ちなみにその告別式の時、私は何処にいたかというと、
ピーピー泣くから斎場にはいられなかったそうで、
某ホテルのベビールームに預けられており、
式の後迎えに行ったら、
もう散々に泣いて疲れ切っていたそうです。

そんな具合なので、
私としては、初代の演奏、人柄、足跡を辿って行く為には
残された資料を掘り起こす必要がある訳ですが、
それ以上に、私は初代と直接ご縁の深かった先輩方に
お話しを伺うことを大切にしています。
今日となっては二代目である祖母より年長の先生方も
少なくなってしまいましたが、
10年前は明治生まれの大先輩方が何人も御健在でいらして、
度々、お話しを伺うことや、お手紙を頂くことがあり、
例えばこのような一節が、手元に残っています。

 

〜家元先生は、私どもが何かに困り悩む折には、
『おい、どうした。何があった?』
と、気持ちをいち早く察して下さる敏感な方でした。
「いいえ、何でもありません。ご心配なさらないで下さい。」
『そうか。わかった。』
そう仰ると、先生はニコニコ微笑んで、
ポンポンと私の肩を叩かれるのでした。
そのポンポンで、もう、悩みも苦しみも、
何でもよくなってしまうこともありました。
本当に偉大な方でしたよ。
智之様、貴方様には靖子先生、唯是先生、
それから御両親様、他にも色々の大切な血が流れています。
だから迷うこともあるかもしれませんけど、
私達はどうしても、家元先生と貴方様をいつも重ねてしまいます。
貴方様には貴方様の生き方がおありでしょうが、
どうか家元先生の様に大きな大きな大きな心で、
周りの方々をお包み下さい。
家元先生も、(間もなく私もですが)貴方の生き様を、
いつもいつも天国から見守ってゆかれることと思います。〜

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2011/8/22 夏休みの終わりに

今年の夏休みも終わりになってくるところで、
明日から、東日本大震災の被災地に行ってみることにしました。
行ってみる というと
何か嫌らしい言い方になるかもしれませんが、
文字通り、行って、見てくることに他なりません。
地震発生から半年近く経ってしまいましたが、
今が私の行くべき時だと思い立って行動に移す次第です。
東北といっても広く、私も行く場所に目的がない訳でもないですが、
自分一人に出来ることはごく限られてしまうので、
ここでは「今の私に出来る限りのことをしてきます」と言うことに、
留めておきたいと思います。

話し変えます。
先週19日の金曜日、メルマガ第3号が配信されました。
もし、まだ届いていらっしゃらない方がいらしゃいましたら、
お手数ですがmailmagazine@utanoichi.jpにご一報下さい。
ちなみに、今回取り上げましたテーマは『修業』でした。
同年代の友人・新内剛士さんはじめ、
お三方に修業時代の体験談を書いて頂き、
修業することの意義を提示してみました。
手探り状態で始めたメルマガですが、
まだまだ、まだまだ改善の余地が見当たり、
これからはもっと努力しなければならないと、
兜の緒を締め直すところです。
古典芸能の世界に生まれた私のような人間は、
日本文化の美しさを一途にお伝えすること以外出来ないので、
そのことを自覚し、読者の皆さまに
楽しんで頂けるメルマガを制作してゆきたいと思っています。
編集部は、皆さまからの御意見が何よりの励み、
そして教訓となります。
今後とも、御意見、御感 想をどしどしお寄せ頂きたく、
宜しくお願い申し上げます。

話し変えます。(笑)

長らく放置していた当ウェブ・サイトの写真を、本日更新しました。
これを契機に、ポツポツと写真をアップしていく予定です。
自分の写真を載せるのは何だかナルシストみたいで気が引けますが、
まあ、ナルシストではないですが、
自分のサイトなのでここでは善しとして、
自分も含めた様々な方々との思い出を、
記録として残してゆければ意義があるのだと思っています。
ついでに御笑覧頂ければ幸いです。

被災地から戻りましたら私の楽しい夏休みもおしまい。
北海道、松本、富山と遠征が続き、
東京を離れることが多くなりそうです。
各地の方々にお世話になりながら体調管理に十分気をつけ、
来るべき芸術の秋に臨んで参る所存であります。

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2011/8/5 謝辞

先月27日、
平成23年正派邦楽会大師範免状授与式にご招待頂き、
大師範免状を拝受致しました。
いわゆる、正派邦楽会最高幹部に昇格した次第です。
同式典の結びに当方が昇格者一同を代表し、
謝辞を述べさせて頂きました。
僭越ながら、その全文を掲載致します。

謝辞

栄えある正派邦楽会大師範免状を拝受致しましたことに際し、
一言感謝の言葉を申し上げます。
本日は、大師範免状授与式にお招き頂き、有難う存じました。
私共にとりまして、
この度大師範免状、記念品を賜わりましたことは身に余る光栄、
又、永年続けて参りました芸事への熱意が一つの形となって報われる、
いわば大切なお印でございます。
正派邦楽会、並びに、家元先生、諸先生方の
御厚意に心より感謝の意を表し、ここに厚く御礼を申し上げます。
今後は最高幹部として尚一層の責任感を持ち、
正派邦楽会の発展に微力を捧げるべく、
心掛け正しく勉強に励む所蔵であります。

目前に控えます正派創始百周年は、
正派邦楽会にとりまして大きな節目、
又、私共一幹部にとりましても正派に御恩返しができる最高の舞台でございます。
会員一同が叡智を結集し、
記念の演奏会を成功に導くことこそわれわれの務めであり、
切なる希望でございます。
経済不況、少子化の問題、
先には東日本大震災の大打撃も受け低迷する日本国でありますが、
この様な時こそ、一致団結した力が待たれます。
今こそ、我等が正派邦楽会の底力をはっきりし、
その結集した力が一筋のひかりとなって
次世代を担う若者達一人一人の心へと差し込まれてゆくことが、
伝統芸能の宿命であり、引いては国恩に報ずることに結ばれることと存じます。
新大師範一同、本日賜わりました授与のお言葉を肝に銘じ、
日頃たるみがちな自らのここに鞭を打ちながら、心機一転、
また本日から次の目標に邁進する所存でございます。
最後になりますが、私奥田雅楽之一、
若輩、未熟の身分でありながら大師範昇格をお認め頂き、
理事長中島靖子先生、
本部役員の先生方に改めまして心よりの御礼を申し上げます。
しかしながら拝受しました当方の免状は未だ仮のもの、
先生方からの叱咤激励と思って暫く引き出しにしまい、
然るべき時が来るまで仮大師範として引き続き芸の修業に励む所存でございます。
誰の為でなく、無論私自身の為でもなく、
尊敬する初代家元中島雅楽之都の志を繋ぐその為の人生と覚悟をきめて
自らの役目を果たして参りたいと思っております。

本日はありがとうございました。一同を代表し、謝辞と致します。

平成二十三年七月

正派邦楽会大師範

奥田雅楽之一

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2011/7/18 アメリカ支部の力

正派アメリカ支部は、
大体3年置きに演奏会をすることが
通例になっていましたが、
今回は7年ぶりの開催。
随分と空きはしたものの、
その間私は2回同地に足を運んで
仲間達の成長を見守ってきたこともあり、
いよいよ迎える演奏会に
喜びひとしおといったところです。
今回は東京から20名程の助っ人が入り、
尺八の先生も2名、楽器店さんからも3名が加わって、
支部の演奏会を成功に導きました。
日本からご参加下さった皆様に、
改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
今回はアメリカ支部の会員も大勢参加して、
慣れない着物姿で一生懸命頑張ってくれました。
ハーベスト・シアターという、
サンフランシスコにある有名なホールで会が行われたのですが、
音楽は勿論、昇格者披露の儀式や、
大人数が着物姿で舞台に上って
一斉に演奏する様子などが鮮烈に映るのか、
満員の聴衆は大喜びの御様子でした。
日頃の苦労が報われるのも、
本当に実現して良かったと思えるのも、
全てはお客様の拍手であると、再認識致しました。
演奏会終了の翌日からは、
ワークショップとプライベート・レッスンが始まりました。
東京の先生が同地に行けるのにも限りがあるので、
ワークショップは、最早、
次の演奏会を見据えたものと言っても過言ではありません。
(うーむ、怖るべし、アメリカ支部!)
しかしながら、家元先生の貴重な講義は、
アメリカ支部の会員を包み込む大きさと、
優しさと、少々の厳しさとがあって、
何にも替え難い経験になっていきます。
勉強することよりも、受講すること、参加すること、
つまり、家元と同じ空間を共有することに
何よりの意味があるのかもしれません。
そして又、家元はそれだけの器を持った人です。

日本から来たチームは13日をもって解散、
もう皆さん帰国して、
今頃は差ぼけと苦闘している頃でしょうか。
そして私はというと、
まだアメリカに残っていて、
宣言通り、これからニューヨークに行きます。
初めてのニューヨーク、念願のニューヨーク、
世界一の都会ニューヨークで、
有意義な時間(事実上、これがボクの夏休み)を過ごし、
俗っぽい言い方ですが、
英気を養って来ようと思います。


親愛なる正派アメリカ支部の皆様へ

この度は、一大演奏会、実現の運びとなり、
誠にご苦労様でした。
そして心から、おめでとうございます。
私は一体何のお役に立てたか自分ではわかりませんが、
久しぶりに皆さんのお顔を拝見できたこと、
又とない雄姿を見届けられたこと、
それがとても嬉しかったです。
会の実現の為に色々とご尽力下さったこと、
心より感謝しております。
皆さんが次の目標に向かう様に、
私も、自分が見据えた次の目標に向かいます。
お互い、成長した姿で再会出きるよう、
一生懸命頑張りましょう。
前代未聞の大きな演奏会を実現できたこと、
それは、皆様お一人お一人の力が結集した、
アメリカ支部の力です。
その力が、もっともっと強くなって、
時代の扉を切り開くものになってゆけば、
一つの普遍性が養われることと、
私は思っています。

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2011/7/5 アメリカに行きます

もう目前に迫ってますが、
7日から2週間ばかり、アメリカに行ってきます。
正派邦楽会アメリカ支部の演奏会があり、
同支部より日本からの渡米要請があって、
家元、唯是、副家元(私の母)や他十数名でチームを組み、
一致団結、お手伝いに行ってきます。

演奏会は10日、
西海岸サンフランシスコのハーベスト・シアターで行われます。
演奏会が終わってから、
現地在住の方々の為の講習会や個人レッスンがあって、
13日にお仕事の全行程が終了、
解散(パチパチパチ・・・)、という流れです。
それから、私は日本へ帰らず、
アメリカに残らせてもらいます。
実は私、今度からアメリカ人になることに決めました。
ですから、もう日本には帰ってきません。(…下らない)
冗談はさておき、
実は、ふら〜っとニューヨークへ行こうと思っています。
これは完全プライベートの旅行です。
父がジャズマンだったこともあり、
その影響で十代の頃から憧れていた同地に、
この度ようやく足を踏み入れることが叶います。
感慨深く、楽しみです。
最近は色々考え事が多く
頭の中が混沌としている状況下にあるので、
自分を見つめ直す意味でも、
よい旅(時間)になればと思っています。
勝手をさせてもらいますが、22日に帰国致します。
御承知おき下さいませ。
それから、メルマガ《noichi》配信に際しまして、
この度沢山の方にお申し込み頂きました。
誠にありがとうございました。
沢山の方に応援されている我が身の程を再認識致しまして、
感謝の気持ちで一杯です。
尚、次号配信は
私がアメリカ滞在中15日前後にさせて頂きます。
お申し込みは随時受付ております。
繰り返しになりますが、配信は「無料」です!
宜しくお願いします。

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2011/6/28 行動」<「我慢」<「行動」の法則

一昨日は、奥田雅楽之一稽古場第三回公式行事「芸道・音楽研鑽会」
なるものが開催されました。
今回は内々で済ませようという心掛けの下に企画を進めた、
所謂、非公開の会であった為に、
所縁のある方々への御案内は控えさせて頂きました。
失礼をお許し下さい。
全15曲が14時からスタート致しまして、18時までの4時間、
各々が日頃の研鑽の成果を発表しました。
まあ、満足することが良いことでもなく、
後悔することが悪いこととも限らないのが芸の世界の慣わしですが、
良かれ悪しかれ、演奏することは
人様の「目」と「耳」で自分の芸を洗い清めてもらう、
いわゆる洗礼式のようなものですから、
参加することに何よりの意味があるものかもしれません。
僕も、語れるほどの経験をまだ積んでいませんが・・・。

『教えることは二度習うこと。』と、先人は言いましたが、
私も自らの稽古場を立ち上げて、2年以上が経過しました。
しかしながら、私がもっと自らの立場を自覚するとなると、
本来であれば、私は個人の稽古場を持つべき人ではないのです。
個人で弟子をとると、ひいき目で見るつもりはないですが、
どうしても人事が小さくなりますし、
気の置けない仲である以上
何かと弟子に仕事が傾向しているように見えてしまうのも、
致し方ありません。
そういった問題を十分わかっていたのですが、
それでも私は、稽古場を開きました。
私は、我慢することの大切さ、
つまり「行動すること」より「我慢すること」、
「発言すること」より「黙ること」の比重を家元に習って、
今日も日々の心掛けとしています。
しかし、ここから先は私の独断なのですが、
「我慢すること」の一つ先には
「行動すること」の意味があり、
「黙ること」の次のステップに
「発言すること」の重みが問われてくるような気がします。
私は三十路に入って、
その「次の段階」に足を掛ける勇気を持つようにしています。
私がそれ相応の立場になった時、
あるいはそれに順ずる立場になった時、
私は奥田雅楽之一稽古場を閉める可能性を否定しません。
しかし、だからこそ今出来ることを、
今、行動に移す私の覚悟が求められます。
家元から習った教訓が私の体を通じ、
一人でも多くのお弟子、後輩達の心、
そして芸に反映していくことを節に願って止みません。

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2011/6/7 メールマガジン《NOICHI》配信します!(配信希望受付中)

謹んでご案内、ご報告をさせて頂きます。

私奥田雅楽之一、この度、初めての試みとして、
月に一度メールマガジン《メルマガ NOICHI》
なるもの配信させて頂くことに致しました。

奥田雅楽之一が定期的に配信、
通信させて頂くいわゆるメールです。
奥田雅楽之一とご縁ある方々への通信は勿論のこと、
当方のみならず、日本全国、志を同じくする様々な方への勇気に、
業界外の方々へのアプローチになれば・・・という念願を込めて、
毎回、心を込めて記事を制作させて頂きたく思います。

内容は必ずしも古典芸能に執着したものでなく、
政治、経済、芸術全般、料理、ファッション…などなど。
時々、海外からの通信があったり、
写真があったり、と、
なるだけ色彩豊かに、多岐に亘りたく思います。
又、演奏会情報などは活発に掲載し、
チケット取り扱いも含め、
各地、各人の音楽活動を支援する援護射撃としても
一役買えればと思っております。

どこまで理想に近いものになるか分かりませんが、
気楽に楽しく読んで頂けるものとして、
編集部も明るく楽しく制作に取り組みたいと思っております。
配信を御希望頂けます方は、
恐れ入りますが下記のメールアドレスに、
必ずパソコンのメールからお名前を書いて御送信下さい
(パソコンでないと購読出来ないシステムになっております。)。

以上、よろしくお願い申し上げします。
初版は今現在制作中で、
配信は6月中旬頃を予定しております。。
意義のある内容になる様、一生懸命頑張ります。
配信までの十数日間、楽しみにお待ち下さい!

追伸:メルマガは有料のものもありますが、
当方のメルマガは無料配信となっております。

平成23年6月吉日記

メルマガ《NOICHI》編集長 奥田雅楽之一 (智之)

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2011/5/30 古典に対する敬意

平年より少々早い入梅の候、ご機嫌麗しく存じます。
第25回ファミリーコンサート、沢山の方々のお支えがあって、
お蔭様で無事に幕を降ろしました。
祖父、祖母共に、
体調不良や怪我などあって万全の状態でなかったものの、
出演が叶いましたことが何よりのご報告であり、
お客様にもその雄姿をお届けできたかと存じます。
私は、古典の残月を本式の絹糸で臨んだ結果、
いつも以上に恐い思いで舞台に臨みましたが、
お客様の感想をお聞きする限り、
絹糸をかけた富士の筝が本領を発揮した部分もあった様で、
やはり、糸が切れるという不合理な理由で
絹糸を敬遠してはいけないなと、痛く思わされました。

そして、もう一つ思うところがありました。

正派は、
先代家元、2代家元、唯是震一の3枚看板をはじめ、
宮城道雄、平井康三郎、
松本雅夫、藤井凡大・・・といった近現代の作曲家と縁が深くあり、
それら作曲家の作品を必修として勉強出来れば、
音楽家として、演奏家として道理にかなう訳でありますが、
しかし、それだけでは、何か、
言ってしまえば、継承者として「弱い」のです。
私は正派邦楽会家元の末裔として、
初代家元の精神を後世に引き継ぎたい者として、
そして何より、地歌筝曲家として、心掛け正しく、
王道(正しい道)を歩むためには、
古典の研鑽がまず何よりも大事だと思っています。
対外的にも、他流派の古典を御専門とする先生方に対しても
私共の古典に対する敬意が伝わらなくてはいけません。
(その為には古典曲を積極的に取り上げなくてはなりません)

それから、古典を通じる三味線、筝、双方の鍛錬は
自らの心の鍛錬であり、
芸を磨くことは、心を磨くことに通じてゆきます。
それも、これも、古典を修練することへの「義務」ではなく、
「敬意」があってこそ!
なのです。

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2011/5/13 そわそわする時期

毎年この時期に入ってくると、そわそわします。
5月の最終水曜日は、毎年恒例で、
唯是震一ファミリーコンサートがあるからです。
今年のプログラムは既に公になっておりますが、
私は残月の箏を演奏させて頂きます。
残月は地唄箏曲を代表する追悼曲でありますが、
特に、先の大震災を意識した訳ではありません
(ファミリーコンサートのプログラムは震災前に決まっていました。)し、
そういう思いを込めて演奏するということでもありませんが、
図らずも残月を選曲したということには、意義を感じています。
一生懸命頑張ろうと思います。
そわそわする要素に含まれるかどうかわかりませんが、
間もなく6月3日に誕生日がきて私は32歳になります。
もう32歳なのか、まだ32歳なのか、
自分ではわかりませんが(とにかく32歳!)、
世の中に出れば出る程に失敗や後悔が許されなくなってくるで、
先輩後輩双方の助言に耳を傾けながら、
感謝しながら道を外さないように努めなくてはなりません。
私の中には、希望があります。
そう、希望。微力ながら、それが正派邦楽会、
延いては邦楽界の明るい未来へと結ばれていく為に、
もっともっと頑張らなくてはいけない、
今まさに大切な時期を迎えているのだと、
自らに言い聞かせる31歳の暮れ時です。

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2011/4/29 名門  山本家のこと

先週、滋賀県大津市に行って参りました。
同地の大家、故・山本雅楽邦(やまもとうたくに)先生の
意志を継ぐべくして、
三代目の襲名披露演奏会がありました。
山本雅楽邦先生は、初代家元の名参謀であられ、
筆舌に絶えない多大な功績を残されました
(尺八演奏家の第一人者、山本邦山先生は雅楽邦先生の孫に当たられます)。
又、この度の演奏会で、
山本邦山先生の御次男・山本雅専さん(私より先輩です)が
三代目・山本雅楽邦を襲名されることとなり、
同時に御社中の長(白菊会会長)に任命され、
重ね重ね意義の深いこの演奏会にお声を掛けて頂きましたこと、
光栄に存じました。

山本家と唯是家(中島家)は家族ぐるみの長いお付き合いです。
山本家は皆さん心が綺麗で、優しい方ばかり。
山本邦山先生は奥様(2代・山本雅楽邦)との間に3男1女を授かられて、
今では、皆様揃って邦楽の道を志しておられます。
私が修業を始めた頃、例えば歌舞伎座の楽屋で、
山本家の方々が、右も左も分からない私をいつも気に掛け、
色々と教えて下さったのも記憶に新しい次第です。
あれから10年以上月日が経ち、今や善き先輩後輩、一派の善き仲間です。

24日の演奏会当日は盛会で大勢のお客様がご来場になり、
ロビィには沢山の花束が並びました。
白菊会の門人方々も裏に表に活躍なさって、
若親分を盛り立てていらっしゃる様子がよく窺え、頼もしく存じました。

「白菊会の皆さん、本当におめでとうございました。
 これからは三代目と共に、益々の御発展をなさいます様、
 私も応援してます。
 亡き初代、二代目も手を取り合って見守っておられることと思います。
 頑張って下さい。それから、啓代さん、ご結婚おめでとう。
 これからは、誰に遠慮することもなく、お幸せになってください。」

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2011/4/12 オーケストラ・ニッポニカの役割

既にスケジュール上にてご案内している次第ですが、
4月17日の日曜日、14時30分より
渋谷区文化総合センター大和田さくらホールにおいて、
オーケストラ・ニッポニカの定期演奏会があり、
今回は演目に「筝とオーケストラのカプリチオ」(唯是震一作曲)が組まれ、
勿体ないことですが、
私がソリストとして演奏させて頂くことになっています。
指揮は、私のソウル・メイト(心の友)の阿部真也君です。

オーケストラ・ニッポニカは設立してまだ10年も経たない、
新しいオーケストラで、
主に、日本人作曲家の作品を
多く取り上げて演奏会を企画しておられるようです。
中々演奏機会に恵まれない、
いわゆる邦人作曲家に光を与えるという、その志。
これは、実は、とても素晴らしいことなんです。
私は、もはや言わずと知れたクラシック音楽愛好家であり、
日本のクラシック界の繁栄を応援している大勢の中の一人でもあります。
戦後、日本のクラシック界、クラシック音楽ファンは、
度々海外からやって来る外国の演奏家や
オーケストラ、指揮者との価値の違いや
「差」のようなものを意識するようになり、
年を追うご とに海外へのブランド志向が高まり、
比例して音楽学生の留学も増えていきました。
確かに、西洋の音楽である以上、
我々は本場の文化に対して謙虚でなければなりません。
しかし、日本人は、海から渡ってきたものを
日本人流に変えてしまう特異な性質、才能があり、
そこに日本人の凄さがあるのであって、
「他所(ヨソ)の文化をお借りしています」
という意識が、かえって日本の音楽界を
中途半端なものにしてしまっているとも言えます。
もっと違った意味で、
日本独特のクラシック音楽を創造していかなければ、
世界との(意識上の)差が、
もっともっと広がってしまうと強く案じています。

「おいミヒャエル、俺、今度、東京に行くヨ。」
「東京に行ったら、
 まず、あそこのオーケストラの公演を聴かなきゃ損だぞ、ヨハン。」
「そうなんだよ。でもあのオケがさ、
 あいにく今、ドイツに遠征中なんだってサ。」
「それは残念だったな。
 ところで東京に新しく出来たオペラ座、凄い建築だって評判だな。
 国が資材を投げ打って作らせたらしいゾ。」
「ああ、あれは見ておかない後悔すると思っていたところサ。
 最近、日本の音楽界は目覚しいナ。
 日本人作曲家の曲が世界中で演奏されているしナ。
 10年前までは、武満徹くらいしか聴く機会がなかったのに。」
「そりゃそうよ。だって、曲が良いもん。
 滝、山田、信時、早坂、下総。
 昔の日本人は本当に凄い曲を書いていたってことサ。」
「俺達も、いつまでもバッハやベートーベンに頼ってられないナ。」

世界に誇れる、日本独自の音楽を。
こういう思想を持たねば
日本の音楽界に未来はないと言っても過言にならないと思います。
ニッポニカの皆さん。皆さんがやってらっしゃることは、
凄く進んだ、意味のあることです。
その信念を大切に、これからも頑張って活動していって下さい。

17日の公演、私も微力ながら、お手伝いさせて頂きます。
よろしくお願いします。

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2011/3/31 ツイッターを始めます 

地震発生時のことを思い返します。

その時私は正派邦楽会館にいました。
揺れが大きくなるに従って、合奏を中断し 、
急いで隣の正派音楽院(木造で築50年超です)に飛び込んで、
慌てる在学生を邦楽会館に避難させ、それから落ち着いて外に出ました。
この間恐らく4、5分くらいだったかと思われます。
会館前の左内坂には隣接する会社の社員や学生、
今まで見たこともない大勢の人が溢れ出て騒然としていました。

携帯電話がほぼ機能しないということが分かって、
固定電話とパソコンを駆使し、私は家族に連絡をとり、
それからは正派の学生達とテレビを見ながら安静に過ごしました。
しばらくして、
私の携帯電話に滞っていたメールが続々と届き、
沢山の人が私の安否を心配して下さったことに初めて気付き、
勿体なく思いました。

私が、東北の方々と安否の確認をとることが出来なかったのは勿論、
私自身、私の家族が全国の方に無事をお知らせすることも儘ならず、
電波が混み合うことを懸念したのもあって自重すると同時に、
自力で発信することの限界を痛感しました。
そこで…。友人に勧められたツイッターというものを、
この度、始めてみることに致しました。
未だそれが何たるかを把握し切れていないのですが、
今回の大震災で活躍したそうです。
今回の様な災害や、
私自身、海外や地方に行く機会も多くあるので、
緊急時に備えておいて損はなかろうと思います。
ただ普段から活用していなければ意味がないそうなので、
一日2回くらいを目標に、
いわゆる、「つぶやき」をしてみようと思っています。
当方サイトのトップページから
私のツイッターのページにジャンプできる様に改修して頂きました。
ツイッター上での御笑覧、
当ホームページと合わせまして、
今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。

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2011/3/26 六然訓

甚大な災害をもたらした東日本大震災。
地震から二週間が経つというのに
未だ日本列島は余震や余波に脅かされています。
如何に巨大な災害であったかを日が進むごとに痛感させられます。
お陰様で、個人的にお付き合いのある東北各地の方々から
続々と無事の便りが届きました。
ご協力、ご配慮に心から感謝申し上げます。
被災した方々のことを思うと、心中極めて穏やかでありません。
避難所生活を送る方々の心身の回復、
一日も早い生活環境の回復を祈念する
(出来る限りご支援させて頂きたいと思っております)
こと一心であります。

そして、この度の大地震でお亡くなりになった多くの方の御冥福を、
心よりお祈り申し上げます。
合掌
さて、目先の、演奏会をはじめとする催事が右に倣って中止されています。
私も少なからず影響を受けた一人ですが、
4月17日のニッポニカ・オーケストラの公演から、
私は舞台を務めることになりそうです。
こういう最中(さなか)だからこそ、
音楽家は音楽をしなければならないという、
私の根柢にある信念というのか 、
何か熱いものが込み上げているように感じます。
「こういう時に芸術なんて・・・」
という考え方もあるのは承知の上ですが、
私は、「こういう時だからこそ芸術を。」と、
強く推し進みたいと思っています。

日記の最後に、書きたいことがあります。
先日、祖母が、私に一枚の紙を渡しました。

「これは私の父が書いたもの。あなたも持っていなさい。」

それは六然訓という、格言でした。

『自處超然(ちょうぜん)
 處人藹然(あいぜん)
 有事斬然(ざんぜん)
 無事澄然(ちょうぜん)
 得意澹然(たんぜん)
 失意泰然(たいぜん)』


これを貰って、すぐ、大地震がきました。

自然の力、そして人間の力。
私は、曾祖父に会って、色々な話しがしたかったです。

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2011/3/15 東北関東大震災、被災者の安否をお知らせ下さい

大変な地震が起こりました。

こういう事態ですので、必要な連絡事項のみ書かせて頂きます。

・私共一族は全員無事です。
 東京はじめ首都圏近隣から被害の報告は届いていません。
・被災した東北地方は、正派会員の多い盛岡、遠野、仙台から続々と
 無事を知らせる御連絡が入っています。

・未だ確認がとれていないのは
 津波の被害が大きかった岩手県の釜石市です。
 とても心配しています。
 もし状況を把握出来る方がいらしたら御一報頂きたく、
 よろしくお願い申しあげます。

・首都圏ないし他の地域とご連絡がとりたい方、
 私を直接知らない方でも、縁もゆかりもない方でも全く構いません、
 何かしらの方法でこのページを偶然ご覧になられました方は、
 遠慮なくメールを送って下さい。
 可能な限りお役に立ちたいと思っています。

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2011/3/3 ケジメの試験

正派邦楽会には、准師範試験という厳しい試験があって、
それに合格すると晴れ て名取(なとり)になることができます。
一般的に、正派に所属する方は
この准師範試験に合格しないと、先生にはなれない
(人に教えることができない)というのが、
一般的な一つのケジメになっています。
かく言う私も例に漏れず、9年前、
正派発祥地である長野県長野市で准師範試験に合格し、
今こうして、『雅楽之一』雅号(いわゆる芸名)
を名乗っている次第です。
先月、同長野市にて開催された第456回正派准師範試験に、
私にとって初めて、
師匠の立場で自分のお弟子さんを送り出しました。
お弟子さんが、受験すると決心して
かれこれ2年近い歳月が流れたと思いますが、
初めてということもあって、
芸の仕込み方、導き方などで私も随分迷いました。
しかしながら同時に、
この受験勉強 を通じて身に付く力、「自力」というやつでしょうか、
これには測り知れない結実を感じました。
それは私自身が受験した時には全く感じられなかったことですが、
素人レベルから、
一気に専門家に近いレベルまで駆け上がると言っても過言でないくらい、
密な稽古を重ねられる勉強の機会であったと思います。
受験生を育てるに際し
力不足の私を補ってくれた楽理指導を担当・田辺雅震翠君、
門下生の仲間達、受験生の御家族、御友人、沢山の人達の支え、
無論、受験生本人の努力、
お陰様で受験生は何とか合格させて頂くことができました。
合格した伊藤由紀子は、
この度正派邦楽会幹部の仲間入りを果たしましたので、
手前ミソで恐縮しますが、この折に御紹介させて頂きます。
彼女の雅号は、私が『雅楽十美(うたとみ)』と命名しました。

・日本の芸事は、
 一(私)から十(雅楽十美さん)まで、
 又、十から一までを反復する中に全ての要素がある。
・音楽も人間も、今後、益々美しくあってほしい。
・『十』も『美』も左右対照の字で、
 道にそれず、正しく進んでほしい。
 そういった私の念が、名前に込められています。

我ながら、なかなか良い名前を考えたと思います。(笑)
雅楽十美さんは、既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、
明るくて、前向きで、可愛くて、とても良い子です。
仲良くしてやって下さい。

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2011/2/3 節分です

旧暦で言いますと、本日が新年ということ。
干支の区切りを旧暦の2月3日とするのか、
元旦を区切りとするのか、
しばしば見解の分かれるところですが、
いずれにしろ私は6月生まれなので、未(ヒツジ)です。
小さい頃は、
寅(トラ)や辰(タツ)といった強いモノに憧れましたが、
今となっては未も、なかなか良いもんです。(意味不明)
今回は演奏会のご案内を幾つか書かせて頂きます。
2月26日に、アートフェスティバル日本日和の主催で
『極楽邦楽』という催しがあり、私も出演させて頂きます。
これは、昨年秋に同横浜のランドマークプラザで
開催した『お気楽邦楽』と、同類項のシリーズです。
昨年出演してもらったブラ
ジル人留学生のフェルナンド・ネヴェス君が今回も続いての出演となり、
私との二重奏も予定しています。
彼は私よりも若いですが、私は音楽人として彼を尊敬しています。
苦労も多々あるでしょうが、
頑張って大成してほしいと思っています。
3月6日には、毎年東京で開催されている『世界舞踊祭』に参加します。
世界舞踊祭は今年で9回目の開催。
昨年、主催者からお声を掛けて頂き、
私は今回が初めての参加となります。
若手の演奏家達に協力してもらって唯是震一の「ガルーダ」を演奏、
踊り手を私の友人でインドオリッシーダンサー第一人者、
安延佳珠子さんにお願いし、
安延さんとも久しぶりに共演出来ることを嬉しく思っています。
いわゆる、コラボレーション
(この言葉はいつから使われるようになったんでしょうか…?)
は最近よく見受けますが、
違う分野同士を掛け合わせることは
(何をもって成功、失敗を分けるかにもよりますが)
芸術性ということだけで判断すれば、
成功の可能性は低いと思います。
とても難しい試みだと思います。
と言いつつも、今回はそのコラボレーションを試みる訳ですが、
敢えて安延さんに舞踊をお願いしましたのは、
舞台芸術として成功の見込みを感じたからです。
私は考え方が古いというのか、保守的であるので、
見る人かた見れ ば詰まらない人間かもしれませんので、
もう少し、許容範囲を広くして、
今後の芸術活動に役立てていきたいと思っています。

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2011/1/12 新年明けましておめでとうございます

年末は日本海側を豪雪が襲って沢山の人の足に影響があったようです。
子供連れの家族も多かったでしょうし、
さぞ大変だろうと思いながらテレビを観ていました。
毎年恒例の国民的行事、箱根駅伝は早稲田の総合優勝で幕を閉じました。
一人一人がチームの為に、伝統の為に個人の一切を捨て、
ある種犠牲の精神で責務を全うする一所懸命な姿が、
日本国民の心を打つのだと思います。
私の父も早稲田のOB なので、今年は随分嬉しそうにしていました。

新年最初の更新。
まずもって本年のスケジュールを簡単に更新致しました。
御笑覧下さいませ。
それから、photoの中にある「雅楽之一とその歴史」の中の写真も
更新しましたので、合わせてご覧下さい。
名ヴァイオリニスト・ハイフェッツと家元が一緒に写っている写真は、
今となっては貴重なショットかと存じます。
その他の写真も、(少なくとも私なんかの写真よりは)
珍しいものを載せてあります。
私の一族、
引いては正派邦楽会の歴史に触れて頂く有意義なページになるよう、
今後も様々な視点からアプローチしていきたいと思います。
昨年は新年は祖父が体調を崩し、
4月には祖母が転倒、
10月には姉が手術をしたりと不穏な日々でした。
又秋は、当方も試練の舞台が続きまして、
のんびり屋さんの私もさすがに捻り鉢巻で頑張ってつもりなので、
そのせいもあってか、年末年始は一族とゆっくり過ごす時間が持って、
心穏やかに初春の日々を送りました。
特に、1月4日の祖母の誕生日には毎年沢山の人達が集まって、
我が家の伝統、秘伝レシピのハンバーグ
(これについては何かの機会にゆっくり書きます)
を沢山作っておもてなしをしました。
当たり前のことですが、
一年一年、各々が一つ歳を重ねて再会するこの日は、
別段意識もしないのですが、我が家は年長者が多いので、
口に出さずとも元気に迎えることができたこの日を
一同感謝の気持ちで迎えます。
祖母も今年で満86です。
余り苦労を掛けないよう、
私も努めなければばらないと思っています。

と、いう訳でわが一族も皆元気でスタートラインに立ちました。
本年も各方面でお世話になると思います、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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All right reserved. (c) Utanoichi Okuda