2007/12/29 神のまにまに ”手向け山”
12月26日、27日の二日間は、
随分前から゛奈良詣゛と決めていました。
一つ、本年は公私に亘って「動」の一年と申しましょうか、
色々な環境の変化がございました。
無事に一年納めの御礼と感謝をきちんと申し上げたい事があり、
私の好きな観音様がいらせられる東大寺に行かせて頂こうと思いました。
早朝6時半にホテルを出て、
ゆっくり歩いて一時間、東大寺に向かいました。
一つ、只今、一年暮の時分もさりならがら、
本年は干支で亥(イノシシ)に当たり、
十二支の中でも結びの年に当たる訳でございます。
十二支の一周、つまるところ12年間、
簡単に申せど改めて振り返ってみれば、
大事小事、キラ星の如くにございまして、
奈良の新薬師寺の十二神将に灯明を上げに参りたく
祈念していた次第でございます。
一つ、お目に掛かりたい御老師様が奈良の東にいらして、
奈良ホテルから車で一時間半、
山の中にある立派なお寺へ入ってゆきました。
私の到着を笑顔で迎えて下さった御老師様と、
炉を囲んで三時間余り、お話をさせて頂きました。
芸の事、私生活の事、家族の事、時折飛び散る火花に、
我にかえる未熟な私を痛感致しました。
本年も、無事に結ばれてゆきそうです。
本日が最後のお仕事で、結ぶは新娘道成寺(鐘ヶ岬)の稽古でございます。
新年1月明けましたら、平成20年のスケジュールを発表させて頂きます。
本年も一年間、奥田雅楽之一をお見守り頂き、有難ございました。
心よりの感謝、並びに御礼を申し上げます。
来年は干支が先頭の子(ね)に返ります。
皆々様、どうぞよいお年をお迎え下さい。
※月刊ピアノをご覧下さった方々へ
お正月巻頭ページ特集に関する御感想、多く頂きました。
ありがとうございました。
「あの、写真嫌いの雅楽之一さんが・・・」という御意見が大半でした。(苦笑)
しかしながら、せっかくの機会ですので、
実物より良い姿で沢山撮って頂きました。
引き続き来年も、積極的に取り組んで参りますので、
厳しい御指導、御意見をお待ち申し上げております。
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2007/12/10 『月刊Piano』掲載のご案内
メディア関連のご案内です。
12月20日発売、雑誌・月刊Pianoの巻頭ページに
私めの対談が載る事になりました。
月刊Pianoは全国の書店で御求め頂けるようでございますので、
御笑覧を賜りたく謹んでご案内を申し上げます。
対談のお相手は新内節でご活躍の新内剛士さん、
人間国宝の新内仲三郎先生をお父様にお持ちになる、
私と同世代の素敵な方です。
対談のテーマは江戸の『粋』。
難しいテーマで、
尚且つ全くの準備不足(←言い訳)で臨みました故、
ただひたすら御託ばかりを並べてしまいましたが、
剛士さんに支えられながら何とか無事に務め終えました。
慣れ親しんだ神楽坂での撮影、
雰囲気は確かにお江戸の粋かと存じますので、
お写真等から雰囲気を感じ取って頂けますれば、
幸いに存じます。
今回の取材にみならず、
自らの言葉や思想を公の場にさらけ出す事は、
有り難くも大変慎重になるもので、
言葉の使い方、質問に対する答えの選び方、
自身の冷静さと教養双方の不足に
気が付かされる今日この頃でございます。
昨日遅く、京都遠征から東京に戻って参りました。
年内は、20日過ぎから北海道へ行く事が決まり、23日に戻ります。
クリスマス・イブ、クリスマス当日は
舞台稽古がや下合わせが入ってございますが、
25日の夜は家族でディナーが出来そうです。
クリスマスが明けた2日程、手帳の予定欄が空白でしたので、
年内にもう一度何処かへ詣でたいと
念じていた自分へのケジメをつけるべく、
少し遠出を致しまして、敬愛する観音様へのお参りと、
ご縁のある御老師様にご挨拶だけさせて頂こうと思います。
目的の地は 奈良 です。
紅葉の錦 神のまにまに
というタイミングにはございませんが、
手向山を拝み、
一年の感謝を申し上げたいものと、
心より祈念致しております。
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2007/12/2 思い出すは友の言葉
毎年恒例となっております「唯是震一作品演奏会」が
去る21日四ツ谷区民ホールで催され、
お蔭様で盛会をもって終了、
又、翌日22日にはホテル・ニューオータニで
「唯是震一芸術院賞受賞祝賀会」があり、
総勢400名に近いご臨席を賜り、
いずれも大変有り難く存じました。
私共の中にあって
数年に一度訪れる大演奏会&大 パーティー2点セットでのご提供、
(主催者側にとっては正に恐怖の二日間なのですが…)
この度も何とか無事に過ごすことが叶いまして、
今時分全くもって胸を撫で下ろす心境にございます。
又、先日は私がお慕い申し上げている
舞踊家の家元の会が歌舞伎座でございまして、
会当日まで私も色々とお手伝い(≦勉強)させて頂きましたが
本番は客席に座り、
本当に、久しぶりに感動の舞台を拝見した気が致しました。
妥協をしない完成された舞台には、
当人の芸術性は勿論、
手間暇を掛け、お金を賭け、
命を懸けて いるのだと感じました。
さて、月日は師走に入ろうとしております。
12月19日、私の親友、阿部真也氏(バイオリニスト)の会が
東京は新宿の角筈ホールでございます。
当日は私も仲間に入れて頂き、
恐らく今年最後になるであろう親友との「春の海」を、
心を込めて演奏させて頂きます。
阿部真也氏とは、日本国内では勿論、
世界各国で「春の海」の演奏を重ね、
演奏においての経験は勿論、
世界各地での思い出を共有し合える、
唯一無二の仲であると感じております。
彼の中に在る音への情熱は類い稀で、
私も多くの[美]を、彼に魅せられ、導かれて参りました。
こういう人を、今の世間、
それから音楽界は重宝しなければならないと思わせるだけの、
そんな演奏家であり、人であります。
もしお時間がある方は、19日是非お出掛け下さい。
きっと、きっと、それはそれは良いクリスマス・ プレゼントになるかと存じます。
そんな彼が私にくれた言葉の中で、大切にしている言葉が一つあります。
「サトシ君、貴方がこれから先どんな立場で、
どんな人になっても、私は人間・奥田智之と、いつも向き合っていきます」
舞台や稽古で精神面が不安定なこともしばしばある日々、
有難いかな友の言葉は思い掛けず我身を救うことがあります。
持つべきもの、それは 「友」 なのであります。
月日は一年納めの早や師走。
一年の整理や新年の準備等、
日本人にとっては忙しい時期になるかと存じますが、
終わり良ければ全て善し、
確かで、お健やかな毎日をお送りくださいまし。
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2007/11/20 久々の更新
気がつけば、
ホームページ開設史上、
最長の放置状態にあって、
このページにも、
すっかり埃が溜まってしまた感じがあります。
ここ数日、更新を気にしていて下さった方、
ご心配下さっていた方、
お心遣い有難う存じました。
私はこの通り、元気であります。
芸術の秋とは申しますものの、
本年は例年以上日々何かに追われる生活で、
これは良くないなと思いつつも、
結局は慌しい毎日となっております。
今の私の立場は、
世間、業界、双方に置きましても
まだまだ若輩者に過ぎませんが、
次第に必要として頂ける場が増え、
限られた時間の大切さを身に染みているところでございま す。
さて、当方ホームページ上でも宣伝させて頂きました
11月10日並びに11日のコンサートを
無事に終了させて頂きましたご報告をさせて頂きます。
10日の会は東インド舞踊の第一人者である
安延佳珠子(ヤスノブ・カズコ)さんとの共演、
11日は韓国の人間国宝・梁勝姫(ヤン・スンヒ)さんはじめとする
韓国伝統芸能選りすぐりの方々との共演、
いずれも何かしらの曲を一緒に共演するというよりは、
それぞれの文化の持つ魅力を提示し合うというのが主でありまし たが、
共に一つの舞台を作り上げるという意味で、
大変得難い経験をさせて頂きました。
会の当日御来場頂きました方々、
立派なお花を下さった方々、
大変過分なお心遣いを賜り、恐縮に存じております。
ありがとうございました。
近々の私の予定をお知らせさせて頂きます。
年内は国内での活動です。
東京近隣を主に、地方への出張も幾つかあって、
演奏会が少々、学ぶ側のお稽古、導く側のお稽古がそれぞれあって、
あとは諸々の身辺整理や執筆などを続けながら、
年を越えそうです。
年明けは早々2日にヨーロッパへ発って、
6日に大好きな街ウィーンの由緒ある
コンツェルト・ハウスで演奏をさせて頂き、
来年早々までにという大曲の作曲依頼を頂おります為、
少し長めに滞在のお時間を頂いて、
14日に帰国。帰国後しっか準備をして、
2月以降の演奏会シーズンを迎えることになりそうです。
月日が経つのは早いもので、
東京は少しずつクリスマス模様となって参りました。
クリスマスだからといって、
私の何がどうなるという訳でもないのですが(←寂しさ一杯)、
私は幼い頃からこの時期が好きで、
大きくなった今でも空き時間にプレゼントを買ったり、
ツリーの飾りを買いに行ったりして、
楽しく過ごせるシーズンなのであります。
早く独身を脱して、
自分の家族と共にクリスマスを味わえた ら良いなと、
最近では少しそう思うようになっていますが、
願いとは裏腹、現実は随分違っております。
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2007/10/31 そういえば神無月
広島の遠征から帰って参りました。
たまたま、私が広島滞在の最中に大相撲の巡業(宮島場所)があって、
相撲好きの私が我慢出来る筈もなく、
我が儘を言って、宮島へ寄り道をさせて頂きました。
恥ずかしながら、宮島場所で、
取り組み表を見つめている私の写真を載せておきました。御笑覧下さい。
10月は出雲に神様が集まって何やらの会議をするとかで、
古くは”神無月”と言っておりますが、
今年はその神無月に伊勢神宮と厳島神社を詣で(後者は相撲目当てでしたが・・・)、
肝心の神様が不在だということを今更になって気づく不手際な私ですが、
これは本年中にもう一度、
何処か由緒ある神社に参上せねばいけないよ うな、
心持ちであります。ここまできたら、
やはり、出雲大社でしょうか。
やがて紅葉に染まる季節がきたら、
何処かへ詣でたいと思います。
11月になり、神様もそれぞれのお宮にお帰りになって、
全国に平安が訪れますことを、節にお祈り申し上げます。
この旅は 幣も取りあえず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
もう舞台が来週に迫っているというのに、
何故か12月に弾く数曲の暗譜に追われてしまい、
私の、持ち前の要領の悪さを露呈しております。
いくら稽古をしても次から次へと課題を与えて頂ける環境におりますが、
これを「大変」と取るか、
「有難い」と取るかで私の運命が大きく左右されますので、
しかるべき解釈で芸道を邁進いたします。
霜月となりました。お風邪など召されませんよう、
皆々様、お健やかにお過ごし下さいませ。
※広島でお世話になった方々へ
この度は(も)、私と「学ぶ会」の為に隅から隅までご配慮頂き、
お陰様で皆様お一人お一人が集中でき、
又、気持ちよく過ごせる環境になった思います。
改めて、御礼申し上げます。
そういう訳で、私はあの後宮島で相撲を観戦してしまいました。
間違っても相撲観戦に合わせて
日程を組んだ訳ではございませんので、悪しからず・・・。
宮島を背に撮った集合写真、皆様ご覧になりましたか?
私もつい一昨日拝見して、何と申しますか、心温まりました。
良い、雰囲気で、良い、仲間です。
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2007/10/19 清き心と五十鈴川
先週末は合奏団の会、翌日の三重県の公演、
充実した2日を送らせて頂きました。
13日の正派合奏団の60周年記念演奏会は、
正派合奏団創始者・中島靖子の、
ある意味集大成ともいえる節目の大演奏会でありました。
今年一杯で閉鎖する飯野ホールも、満員御礼で、
ご来場賜りましたお客様に、心よりの感謝を申し上げます。
この会の私の感想及び御報告を、
11月号の「楽道」(正派邦楽会毎月発行の機関紙)にて
掲載させて頂きます。
楽道がお手元に届く方は、僭越ながらご笑覧頂きたく、
ご案内をさせて頂きます。
14日に行った三重県松坂市の演奏会は、
本来私が出演させて頂く予定であった会なのですが、
会主の方が突然大病を患われて、私の参加はおろか、
会の開催をも危ぶまれる状態になってしまいました。
しかしながら、
その後お医者様の適切な治療と何よりも御本人の精神力、
ご家族の愛があって、大変お元気になられ、無事 に演奏会も開催。
結局こっそり馳せ参じた私(バレバレでしたが・・)も
飛び入りで参加させて頂いて、本当に心暖まる素晴らしい演奏会となり、
お客様の拍手喝采と、涙、涙、涙・・・・の中、会の幕を閉じました。
翌15日早朝、まだ薄暗い中を出て、電車に乗ってでトコトコ。
伊勢市駅で下車、駅前の参道を真っ直ぐ歩いて、
外宮(げぐう)に到着したのは朝の7時くらいでしたでしょうか。
人っ子一人いない外宮は、
私の玉砂利を踏みしめる音ばかりが響いて、
何だか恐縮の心持ちでありましたが、
謹んで神前に詣で、いつもにも増し て明るい朝陽を浴びました。
外宮から内宮へは、タクシーで移動することにしました。
運転手さんは何と
昭和元年12月28日生まれ(初めて出会った昭和元年生!)の
御歳81の大ベテラン。
客と運転手は仲良くなって、
伊勢神宮のお話、猿田彦神のお話などを伺って、
大変有難く存じました。
あっという間に内宮到着。
運転手さんに1時間お待ち頂いて、
今回の最重要の目的である五十鈴川へ向います。
参道口鳥居の前で一礼、
内宮の立派な宇治橋を渡って、
いざ五十鈴川へ。
今回、私は何故此処に来たかったのでありましょうか。
理由は色々あると思いますが、
ここ数ヶ月、五十鈴川で身を清めんとする我心に、
一すじの光を見て、生活しておりました。五十鈴川に手を浸すと、
「冷たい」
五十鈴川の、すがすがしい、この冷たさ。
私は、これを求めていたのかと、この時初めて気がつきました。
さすが五十鈴川。
やっぱり五十鈴川。
清き、美しき五十鈴川。
神楽殿では、朝のお掃除をしていました。
緋色の袴を穿いたお巫女さんが十数人で、
床を吹いているその様は、本当に綺麗で、
その彩りが小林古径の日本画を思わせました。
内宮を出ると、8時半。
これだけゆっくりと過ごして、8時半。
早起きは、三文の得。
宇治橋を渡ると、さっきの運転手さんが車を寄せて来て、
「お疲れさん」
とニッコリ。
81歳、一期一会のその笑顔に、
私はつい、グッときてしまいました。
今週末は、広島の遠征に行って参ります。
※正派合奏団60周年記念演奏会に出演なさった団員の方へ
御苦労様でした。
団員皆様お一人お一人の努力、情熱が、会の盛会に繋がりました。
祖母も、きっと幸せです。
ありがとうございました。
全ての想いを、「感謝」の一語に込めます。
客席におりまして、石狩川全曲は、圧巻でしたよ!
※松坂でお世話になった方々へ
皆様、その後、お疲れが出ていらっしゃいませんか?
この度はご縁を頂いて、有難く思っております。
このご縁を引き続き繋ぐべく、
私も、皆様もさらなる精進を積んで、皆で5年後の夢を叶えましょう。
それから、ケイコさん、貴女は偉い。貴女は本当に立派です。
心から、おめでとう!!(((拍手)))
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2007/10/12 中島一子
正派邦楽会も、
創立より95年の月日を迎え、
100周年の大台もやや現実味を帯びてきた感じがございます。
(戝)正派邦楽会は、財団としての理事長・中島靖子、
正派に伝わる芸の伝承者としての長、
いわゆる家元も、中島靖子が兼任しております。
この度、私の母・奥田雅子が、
正式に次期後継人として決まり、
名前も「奥田雅子」から、『中島一子(なかしまかずこ)』
と改め、襲名と申しますか、改名を致しました。
祖母が再三にわたって
「中島の名前は残したい」
と言っておられましたが、 中島一子の名が示すように、
無事、家元の意志がしっかりと受け継がれた形になりました。
ちなみに私は、当分の間「奥田雅楽之一」のままで芸道を歩ませて頂きますので、
唯是、中島、奥田、と相変わら三つの名字が入り乱れる我が一族を、
今後ともよろしくお願い申し上げます。
明日13日は飯野ホールで、正派合奏団の大会がございます。
中島靖子のライフ・ワークである合奏団、
創始60周年の記念演奏会で、正派でもより選った実力者が、
揃って出演します。
引き続いて今週末の予定を申し上げますと、
翌14日早朝、私は一人三重県に発ってご縁ある方の記念演奏会を拝聴し、
翌朝、伊勢神宮へ詣でて、五十鈴川で我が身を清め、東京に戻って参ります。
我がすゑの絶えず澄まなむ五十鈴川底にふかめて清き心を(後嵯峨院)
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2007/10/3 偲・宮城道雄
私は、宮城道雄先生を心からご尊敬申し上げております。
その信念はもはや尊敬の域を越えて、信仰の境地に達したといえます。
道雄先生が御逝去されて、もう50年の月日が過ぎてしまいました。
昭和31年6月25日午前3時46分。
大阪へ向かう急行列車「銀河」から転落するという不慮の事故で
あっけなく幕を閉じた天才・宮城道雄、激動の生涯でありました。
以下、宮城先生の親友であった、
私の曽祖父・中島雅楽之都の貴重な言葉を勝手ながら中略をさせて頂いて、
ここに転載させて頂きます。
「 『祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり』
と平家物語ならねど、一刻もとどまらぬ人世、
無常なる現実に直面する時、誰や驚かぬ人やある。
時、昭和三十一年六月二十五日未明、我が筝曲界の偉大なる恩人であり、
百年不出の天才ともいうべき、巨星宮城道雄氏、
関西交響楽団の招聘で巡演、銀河で下行の途中、
列車より転落、不慮の死を遂げられ、
永遠に不帰の客として人世に別れを告げられしことは、
すでに新聞やラジオでご承知の通りであるが、
人も知る氏は 、生前人格円満、
多くの筝曲愛好家から人情厚き宮城先生として敬慕されていた人だけに、
この不慮の死に哀慕やる方なく、
嗚呼!天無常と叫ぶ者のあるは無理からぬ次第である。
この日、朝早く長女の靖子から電話でこの悲劇の報告を受けた。
しかしその時はまだ生命に別状なしとのことであったが、
八時のニュースで、七時十五分逝去の報があり、
とりあえず時刻表を調べたが適当な列車もなく、
名古屋から知立に出て、
知立から自動車で刈谷東陽町の豊田病院にかけつけた。
私の着いたのは十二時近くになっていたが、
受付に名刺を通ずるとすぐ階下のイ五号病室に通された。
遺骸は窓近く寝台に寝かされ、
百合や夏菊、桐の生花が飾られ、
宮城貞子夫人、他諸氏が見守られておられた。
私は目礼だけですぐ焼香合掌し、
顔にかけられた白い布を明けると、
頭は包帯に包まれ「変わり果てたいたましい姿」に、
ただ嗚咽の面会であった。
私はミツの葉で末期の水を宮城先生の唇に湿し、
観音経を読経した。
その日もまたの五時五十分の「黒塚」の出演責任もあるので、
三度最後のお別れをし、
特急を利用して、神戸の時間に間に合わせた。
なお、私は神戸であと二日間の責任あれど、
親友の最後の告別式に何としても参列致したく、
その消息を市川猿之助氏も心よく了解されたので、
十七日、同じ「銀河」の寝台を選び、三ノ宮から乗車した。
寝台車の便所へも行ったり来たり、
宮城氏の足跡を想像して寝付かれず、
寝台に座禅し、読経しつつ静かに冥福を祈った。」
事故の原因については、
その後も様々な憶測が飛び交い、
真相は未だ不明でありますが、
いずれにしましてもこの出来事は、
痛恨の極みに他なりません。
「巨星、銀河より落つ」
もう50年以上も前の話になるのであります。
私は市ヶ谷の正派会館から、宮城記念館のある神楽坂まで、
夜、よく散歩に行って、
宮城道雄先生の心の内を思ってみたり、
曽祖父はどの道を歩いて宮城邸に行ったのかなど、考えたりします。
と同時に、ああいう粋な時代が、
又、やってくることを私自身どこか祈っている気も致します。
「宮城道雄先生、どうか、心安らかな、明るい来世をお過ごし下さい。」
宮城先生は亡くなる数日前にNHKラジオで演奏なさいました。
それは「夕空」という曲でありました。
私はその録音を聴きますと、
どういう訳か、何と申しますか、うまく云えませんが、
私の気が、気持ちが変になって参ります。
『夕空』
筆の鞘 焚いて背子待つ蚊遣火の 上の空立ちのぼる
水に数かく枕の下は 恋ぞつもりて今日の瀬に 身は浮き草の寝入る間もなき
ああ 儘ならぬこそままならぬ
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2007/9/24 梅津貴昶
当日記上で固有名詞を出すのは出来る限り避けてきたのですが、
今回は、特別にお名前を出させていただきます。
梅津貴昶(うめづたかあき)という日本舞踊家を皆様、ご存知でしょうか。
歌舞伎界、舞踊界では知らぬ者は無しという、
天才振り付け師であり、舞踊家であります。
現在までに振り付けを手掛けた作品は実に400曲を越えるそうで、
故武原はんをはじめ、
中村雀右衛門、 中村雁治郎、中村富十郎、市川團十郎、市川左團次、
坂東玉三郎、中村勘三郎、
又、最近では尾上菊之助、市川海老蔵、中村勘太郎といった若手俳優に至るまで、
そうそうたる歌舞伎役者の面々が
梅津氏の振り付けで舞い、演じております。
(ちなみに、祖父唯是震一の作品で、
坂東玉三郎さんの代表作に「楊貴妃」という演目がご ざいますが、
その振り付けをしたのも他ならぬ梅津先生であります。)
梅津先生と私との出会いは、
遡ればかれこれ5年ほど前になるのでしょうか、
私が玉三郎氏の遠征で三味線を弾くお仕事をさせて頂いた折、
初日に梅津先生がお姿をお見せにいらしたのがご縁でした。
二日目の朝、
「サトシさん。河原へ散歩に行きましょう。」
川に沿って一時間ほど歩き、
音楽の事、芸の事、西洋、日本の文化の事、色々とお話をさせて頂いて、
僭越ながら「意気投合」をし、
それ以来、大変親しくお付き合いさせて頂いております。
知る人ぞ知る、天才・梅津貴昶の存在をこの度皆様に知って頂きたく、
以下に梅津氏の公式ホームページのURLを残します。
http://www.umezuryu.com/
11月26日、歌舞伎座で「第十二回 梅津貴昶の会」が催されます。
私が全身全霊をもってお勧め出来る会です。
この機会に、是非、歌舞伎座へお出掛け下さい。
※楽譜をご注文下さった方々へ
この度は、「百鬼夜行絵巻」、
「譚詩曲」の楽譜と音源を御注文くださって、有難うございました。
只今、「百鬼夜行絵巻」の楽譜が完成し、
「譚詩曲」の楽譜に取り掛かっている段階です。
録音にもぼちぼち取り掛かります。
両曲共に書き上げ次第、合わせてお送りさせて頂きます。
今しばらく、お待ち下さい。
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2007/9/15 百鬼夜行絵巻
一ヶ月の独逸滞在から帰国して早二週間。
もうすっかりお江戸生活に舞い戻っております。
HP上でご案内させて頂いております通り、
11月10日に、ちょっと面白そうな舞台がございます。
企画者側の有り難いご要望で、
しばらくチラシをスケジュールの欄に掲載致します。
尚、翌日の11月11日には横浜能楽堂で
家元・中島靖子と「唐砧」(宮城道雄作)を
共演させて頂くことになっております、
こちらも合わせてご案内させて頂きます。
さて、8月のヨーロッパ滞在中、
昨年に引き続いて一つ曲を書き上げました。
と言いましても、今回は新作でなく改作です。
平成17年に作曲した三味線独奏曲「百鬼夜行」に
この度替手を加えて改作、
題名も「百鬼夜行絵巻」と改めて、
11月10日、草月ホールにて初演させて頂きます。
今後は独奏曲としてでなく、
本手、替手による二重奏曲として
演奏させて頂きたいと思っております。
今回は共演者がいる関係で、
ちゃんと楽譜を書きました!
(私はいつも自作の楽譜を書かない悪い癖があります)
※もし、どなた様か楽譜と音源のご希望がございましたら、
是非検討させて頂きます。御一報下さい。
ちなみに、来月中に、「譚詩曲(バラード)」の作譜も仕上げる予定です。
先日ご案内させて頂きましたハーブティー、
お陰様で全て売り切れました(売っておりませんが)。
なかなか好評でしたので、次回も、買って来ます。
危機感だけは持ち続けて、
週一を目標に取り組んで参ります。
いつも日記更新が遅れてしまってごめんなさい。
沖縄、九州地方の方、台風11号、お気を付け下さい。
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2007/9/5 お土産(?)話
「ただいま。」
不在中の日本列島は尋常でない猛暑に見舞われたそうで、
過ごし良いヨーロッパでこの夏を送っていた私、
涼しい顔をして帰るのは、さすがに気が退けるものでありました。
さてさて、今回は
私の苦手とするところのお土産選びのお話をさせていただきます。
この度ヨーロッパへ発つ際、
身近の人たちからの渡されたお土産リストには、
・日本では入手のし難いハーブティー
・日本では入手のし難いジャンクフード
・日本では入手のし難いチューブの歯磨き
…等といった細かい要望ばかり書かれてありました。
とは言うものの、
私はそれらについて何らの知識も持っておりませんのでしたので、
ちゃんと期待に添うるものかと
日を追うごとに不安は募ってゆくのでした。
その思いに反して、
お土産探しに動き出したのは帰国のわずか3日前。
実に準備が悪く、考えが甘い。
「こうなったら数で勝負!」
と、安易な手を打って、
手当たり次第に目的の品を買い集めることにしました。
これまた安易に近くのスーパー、お茶屋さん、薬局へ入り、
目的の物を買い揃えることにしました。
兎にも角にも、
数ある中でも物珍しい品ばかりを
買い物カゴに入れるその時の
私の姿を今思い出すと若干赤面でありますが、
これを買って帰らないと
日本の方々に合わせる顔がないという心境でしたので、
私は真剣でありまし た。
帰国後・・・・
思いの外評判は上々で嬉しく、
どこかホッといたしました。
結構な数を買って参りましたのでまだ少し余ってございますが、
残りのそれぞれは今後のお土産選びの参考とする為に、
自分の東京生活の中で消費していこうかと思っております。
実際に試してみますと、
確かにハーブティーは本場といわれるだけあて、
常日頃口にするそれと比しても、
随分と香り豊かである気がします。
近日中にお目に掛かる予定の方、
今ならまだ間に合いますので、
御一報頂ければ、ハーブティー、お持ちします。
昨日まで、所用で四国は愛媛県に行っておりました。
※現地でお目にかかった方々、
この度は素晴らしい成果を聴かせて頂き、
遥々出掛けた甲斐がございました。
どうぞ、今後も研鑽を積まれて、
さらなる充実を探求なさって下さい。
皆様の若いエネルギーと活力のお陰様で、
時差ぼけもフッ飛びました。
又会いましょう!
お疲れ様でした。
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2007/8/20 フィレンツェ探訪
イタリア・フィレンツェに行って参りました。
珠玉の数々を、満喫致しました。
決して大きな街ではありませんが、その分、
「美」がギュッと凝縮している感じがして、
大都市ローマには感じられない
贅沢な気分で数日を過ごしました。
レストランも、今回はめずらく
私の滅多に当たらない勘がよく当たって、
美味しいパスタ、ピッツァ、生ハム、
しかと堪能させて頂きま した。
街の中心に通称ドゥオーモという巨大寺院があるのですが、
細部に亘る装飾、
その細かい命懸けの作業が積み重なって
あれ程巨大な一個の固体になってみると、
何と申しますか、圧倒されるというより、
ある種の恐ろしさを感じます。
人間の底力を見ました。
世界的な傑作を所有するウフィツィ美術館に行きました。
2時間半 も並びましたが無事に中に入ってみますと、
成る程、収集した作品はまさに最上級揃いで、
ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ等、
ルネサンスを代表する画家の遺産を数十センチ前にし、
身震いがしました。
フィレンツェの路地裏で撮ってもらった写真、
ケルンの大聖堂を背に撮った写真、
10日、12日ドレスデンで開催した「もてなし」の会の写真、
をphotoに掲載致します。
御笑覧下さい。
ヨーロッパでの日々も、残り2週間を切りました。
今日は思い掛けず祖母と電話で話しが出来ました。
「あらら、無事に生きていたのね。
残りの時間、堪能していらっしゃい。」
電話を切ると、心がフワッと柔らかくなりました。
祖母は凄い人だな。本当にそう思います。
残り数日、堪能して参ります。
日本の皆様、猛暑、地震、天災のニュースを窺っております。
どうかご無事に、お健やかにお過ごし下さいませ。
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2007/8/8 ドイツから
お陰様で、無事に
ヨーロッパ・ドイツでの日々を送っております。
日本での生活とは時間の流れ方が違って、
街の中心を流れるエルベ川のリズムの如く、
大きく、ゆったりとした気持ちで
物事に向き合っている気が致します。
今回は定期開催を試みるところの「もてなしの会」開催他、
真剣に取り組まなければならないお仕事を
幾つか抱えて来ております。
そんな中で実はこの度、
私には熱望している目的が一つございます。
「イタリアのフィレンツェという街に、行ってみたい。」
噂に聞く、花の都フィレンツェ。
何故その地に執着するのか
私自身もよくわからないのですが、
以前、何かの本でフィレンツェを見て、
ここは自分の感性に合う街かもしれないな、
と思ったのが一番の理由です。百聞は一見にしかず。
この目、この耳でしかと確かめておこうという事で、
この機会にフィレンツェまで足を伸ば そうかと思っております。
兎に角、私は元気です。どうか御安心下さい。
ここ数日、祖母の優しさが、私の脳裏を掠めます。
日本から離れてみて、祖母の大きさにいつも気が付かされますが、
ここ数日は尚強く感じております。
「おばあちゃん」と呼べなくなって、
どれ程の月日が経ってしまったのか、
もう分からなくなってしまいました。
でも、孫としてどんな時も心から想っています。
どうかこれからも、いつまでもお元気で居てください。
帰国したら、すぐ、顔を見せに参ります。
皆々様から中島靖子へのお力添え、
今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。
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2007/7/25 作曲と私
昨年、ヨーロッパで譚詩曲(バラード)という曲を書いてみましたが、
帰国後、思いの他このたった一曲の譚詩曲が私の人生を切り開き、
人とのご縁を繋ぎ、舞台でも際立ち、
本当に物凄い力を発揮してくれて、
当人の私が一番驚いております。
実は、私は常日頃作曲をすることに対し、少し躊躇致します。
と申しますのも、作曲をすることは、
私にとって多大な精神力と時間を費やすからであります。
演奏のお仕事やお稽古事等と平行させることは悲しいかな困難を極め、こ
んな自分は本当に情けないですが、
普段は敢えて作曲を自重し、
古典作品や舞台にかける曲の習得を優先にしております。
私は嘗て5年間、邦楽の世界から離れておりました。
お家芸に拒否反応を示す自分の心に嘘は付けず、
信じ難い我が儘を申して家を飛び出したのでした。
その間、わが身を救ってくれたのは西洋の音楽。
一人、色々な地へ旅をしては
西洋芸術の素晴らしさを肌で感じ、よく涙したものでした。
西洋の芸術には、「美しい」という言葉がよく似合います。
その美しさは、
私が「周囲の期待を裏切ってしまった」心の傷を癒すのに、
十分でありました。
その後、
お陰様で邦楽の世界に復帰させて頂いた訳でありますが、
依然西洋と日本の思想の違いに挟まれ、
拭い去れなかった複雑な想いを、
この譚詩曲一曲で整理することができたと思うと共に、
変な話ですが、私はこの曲に感謝をしております。
7月30日から一ヶ月、ヨーロッパへ行って参ります。
その間、私は少々気持ちを落ち着けて、
また一つ曲を作ってみようかと考えております。
その曲が、その後の私の人生に何を与えてくれるのかまだ分かりませんが、
産み落とす曲に恥をかかせないよう、
命を懸けて、音と向き合ってみようかと思っております。
今回私を導く場所は、何処になりましょうか。
期待と不安の中とりあえずドイツへ行き、
それから行き先を見定めようかと思います。
次はドイツからご報告させて頂きます。
行ってきます。
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2007/7/5 サンフランシスコから
正派アメリカ支部からの御要望で、
講習会、演奏会をさせて頂く為に
今私は祖父とサンフランシスコに来ております。
東京のムッとする暑さから抜け出してきたせいでしょうか、
こちらは涼く、陽が沈むと肌寒い程です。
大変熱心な演奏家が多いアメリカ支部の皆様は、
東京の専門家を迎える常と無いこの機会に懸ける想いが強く、
私もそれにお答えする熱意と誠意だけは持って、
毎日精一杯取り組んでおります。
アメリカ滞在のスケジュール
・8時にホテルレストラン集合。
毎朝、祖父達と注文の品を変えて、
何が一番美味しいかを模索。
結果、一番人気に輝いたのは、
何故か「うどんセット」であった。
・午前10時より講習会。
予め決めてあった曲を
一日一曲3時間くらい掛けてみっちり講習。
曲を通じて、基本に返り、
様々な演奏法を見直す。
唯是師の、熱心な指導にはただただ頭が下がる。
・午後の3時半頃からはプライベート・レッスン。
それぞれが希望曲を持って担当の部屋にお見えにる。
中でも今回は三味線の手ほどきを受けたいと希望なさる方が多く、
バチの持ち方ハジき方、楽器の持ち方、ツボを押さえるコツなど、
限りある時間を惜しんで目一杯お稽古に励む。
(大体19時から20時に終了)
・毎晩レストランを変えて夕食を致します。
サンフランシスコはシーフードが大変美味でして、
メニューを開くと、
クラムチャウダー(貝のクリームスープ)、蒸したロブスター、
キング・サーモンのステーキ等に魅せられます。
夕食を失敗すると、祖父の元気が無くなるので、皆真剣。
・9時頃ホテルに戻る。
ちょっと帰国後の勉強をして、入浴。
・12時頃、就寝。
去る1日の日曜日には、コンサートが催されました。
250名前後のお客様を前に、計5曲演奏させて頂きました。
春の夜、譚詩曲(バラード)、千鳥の曲、春の海、三曲第一番。
今日のアメリカ在住の方々に、
我々の音楽がどれ程受け入れて頂けるものかと
内心案じておりましたが、
お客様には大変お喜び頂けたようで、
務めを果たせました事に、ホッとしております。
アンコールに、祖父が「六段」を弾かせて頂きました。
84歳、アメリカで名を挙げた唯是震一の「六段」に、
私は背筋が伸びる想いでありました。
7日に帰国致します。
又、月末30日にドイツに発ちます事、
改めてご報告申し上げます。
その分、日本の生活をしっかり頑張ります。
※サンフランシスコでお世話になった皆様へ
講習を受講して下さった皆様、
コンサートにお越し下さった皆様、
その他お力添えを頂きました皆々様、
感謝を申し上げると共に、
この度はお目に掛かれて(本当に!)嬉しかったです。
私めは、前回こちらに呼んで頂きました5年前、
まだ未熟にも至らぬ身であったにもかかわらず、
お声を掛けて頂きました事に
ずっと不甲斐ない心持でおりました。
ここ数年間、日本で学んできました事を
この度皆々様へお伝えする機会を頂けました事は、
御恩返しに他なりません。
未だ半人前ではございますが、
今後も、少しでも、ほいんの少しでも、
皆様のお力になれればと心より願っております。
アメリカ支部のさらなる発展に、
私自身も貢献出来れば、
大変光栄 に思います。
一緒に、盛り上げて参りましょう!
皆様、どうか、お体だけには十二分ご自愛なさって、
幸せなアメリカン・ライフをお過ごし下さい。
Thanks a lot!!
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2007/6/25 ホームページ開設一周年
明後日から、サンフランシスコに行って参ります。
現時点でまったく荷造りをしていない私でありますが、
別に無人島に行く訳でもないので、
パスポート、航空券、演奏の備品諸々には細心の注意を払って、
後は極力荷物を減らす策にでます。
6月17日に行われた正派東海支部演奏会は、
多くのお客様にご来場頂きました。
今回私は4曲の出番がございました。
中でも祖父母、母と私4人が箏、三味線に分かれて演奏した
三曲第三番(唯是震一作)は、
久しぶりに家元と二人、
同じパート(箏)を弾かせて頂き、
弾き方の一つ一つ、音の作り方、芸に対する姿勢、
再度細かくご注意を頂きました。
「あなたの一とニのシャンは、全部同じ強さ。
箇所によって音が違うもの。」
のお言葉は、
正に私の死角を突いた大変有難いお言葉でありました。
師は偉大であります。
21日〜24日まで、北海道に行っておりました。
学校での公演会が同日に三つございまして、
地元の古い正派の先生と尺八を吹く
そのご主人様とにお手伝い頂き、
日本伝統音楽の魅力を精一杯にお伝えしてきました。
三つの公演合わせまして500人超にも及ぶ聴講生、
しかも年齢が年少から高齢に亘っておりましたので、
言葉の使い方、核心へのアプローチの仕方など、
ありったけの智恵を振り絞ってお話したように思います。
演奏することにしか能がない私にとりまして、
今回の公演(講演)会は、良い勉強の機会になりました。
いくら努力をしても、
気が付くのは自身の至らぬ点ばかりであります。
先は長くございますが、
確実に、一つ一つを学んで参りたいと思っております。
さて皆様、当ホームページutanoichi.jpは
お陰様で開設1周年となりました。
上下左右の立場に関係なく
多くの方に親しみを持って頂ける場として
開設したこのページですが、
当初の期待を遥かに上回る
素晴らしいご縁を沢山頂きました。
最近では、当たり前のように全国各地で
「日記読んでます!」とお声を掛けて頂きま す。
こんな私の面白くもない日記を御笑覧頂けておりますこと、
恐縮の思いは極みに達しております。
今後も一つ一つの日記に心を込めて、
皆々様に親しみを持って頂ける場になれば、
それ以上もそれ以下もございません。
心よりの感謝を申し上げます。
次回はアメリカで、日記の更新をさせて頂きます。
※正派東海支部演奏会でお世話になった方々へ
皆様、お疲れ様でございました。
どの曲も熱心にお勉強なさった様子がよくわかり、
当日は楽屋で祖父と二人、感心しておりました。
さぞ、生活の多くを犠牲にされて、
御精進なさったことと思います。
終演後のパーティーでは、
半ば無理やりスピーチをさせられましたが、
何とか笑いも取れたようでして、安堵しております 。
皆様との再会を楽しみにしています。
ありがとうございました。
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2007/6/15 本妙院の響き・満員御礼
6月9日。
あいにく(?)の小雨もぱらつく中、
池上・本妙院へ定員一杯のお客様にお越し頂き、
心よりの御礼を申し上げます。
週末の貴重なお時間を賜り、
本当にありがとうございました。
以下当日のプログラムです。
・イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ2番
・六段の調 (箏)
・バッハ:無伴奏パルティータ「シャコンヌ」 ヴィオラで演奏
・黒髪 (三弦)
・春の海 ヴァイオリンと箏
この度はバイオリニスト阿部真也氏との共催でありました。
テーマを「日本の古典と西洋の古典」とを掲げて、
未熟を承知の上でですが、
正々堂々、プログラムを組みました。
開演の頃には陽も落ちて、
必要に応じて蝋燭に火が灯されました。
御本堂内に不自然なものは何一つ無く、
空気がピーンと澄んで、
いよいよ会は、
御住職様の声明を合図に始まりました。
日本の空間に響くヴァイオリンは、
その緊張感をつなぐようでもあれば、
空気を一変させるようでもあって、
斬新な感じが致しました。
私がヨーロッパの地で聴いた響きとは随分異なるものでして、
阿部氏が日本人であることも勿論ですが、
やはり西洋には西洋、
東洋には東洋、
日本には日本、
その場所の持つ特有の空気 があるようです。
ヴァイオリン・ソナタが終わりますと、
とうとう私の出番で、「六段の調」、
祖母中島靖子の教えを胸に、謹んで演奏させて頂きました。
ゆったりと流れる箏の調べは(私の力量に関係なく)
御本堂の床に染み入るが如くごく自然に、
まるで昔からそこにあったように、共鳴しておりました。
今日まで、実に色々な 場所で演奏をさせて頂きましたが、
このような経験は初めてでした。
黒髪は、稽古ではよく取り上げられるものの、
人前で弾くのは今回がお初でありました
(自分でもチョットびっくり)。
私共の地歌という分野に限って、
三味線の事を三弦(さんげん)と呼ぶ慣わしがございますが、
黒髪を弾いておりますと、
あぁ三味線でなく、三弦なのだな・・・・
と感じさせられます。
うまく説明できま せんが、
三弦という愛称には、品格がございます。
終曲「春の海」の前に、
御住職の御法話と、阿部氏と御住職の対話があったことにより、
お客様にも大分親しみを持って頂けたようです。
御住職と阿部君の人柄が、
お客様の心を柔らかくなさったものと、
素晴らしい人達ご縁を頂けました事に、
再度感謝致しました。
結びの曲を終えて、
恐縮にもアンコールのご要望を頂いて、
自作の「譚詩曲(バラード)」を弾かせて頂きました。
本妙院の響き。
私はこの度の会を通じて、
自身の未熟さと、
日頃の努力不足を痛感しております。
このコンサートを終えた今だからこそ、
今一度気持ちを引き締め直して、
厳しい修練に励みたいと思います。
御来場賜りました大勢のお客様、
私奥田雅楽之一、心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
※本妙院様、スタッフの皆々様へ
この度は、私の身勝手極まりないお願いに
とことんお付き合い下さり、申し訳ありませんでした。
多くのスタッフに支えられてこそ、
実現出来た会でありました。
終演後のカレーは、誠に絶品でありました。
ご馳走様でした。
本妙院様、スタッフの皆様、
終始キッチンで働いて下さった方々、
ありがとうございました。
阿部真也君、貴方から多くを頂きました。
本妙院様と貴重なご縁を繋いで頂いた船田春光先生、感謝しております。 その他当日私のお世話の為に来てくれた
楽器屋さん、お弟子さん、
遠く海外からわざわざ来てくれた友人、
皆、本 当にありがとう。
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2007/6/7 誕生日。
日記の更新が過去最長に遅延してしまいました。
お詫び申し上げます。
私の住む東京も、
いよいよ梅雨に向って
だんだんと湿度が高まっているような、
この時分ならではの肌がベトつく感覚が幾分かございます。
ところで、
私自ら発言するのも大変気が退けるのですが、
去る今月3日、
無事に28回目の誕生日を迎えました。
当日は多くの友人達から祝福の言葉をもらい、
又、夜は家族に28歳のバースデーを祝してもらい、
少々照れくさい気持ちで
ケーキに立てられたロウソクの火を消しました。
いつもどんな時も見守ってくれる
家族の 有難みを痛感。
今一度心から、家族に感謝をしました。
28という年齢に相当する中身が伴っていない事が
お恥ずかしいですが、
舞い上がることなく精進を続けます。
年齢というものは、
奇数と偶数が一年置きに入れ替わる訳(当たり前。)ですが、
私は偶数の方が心持ち落ち着く気が致します。
28歳として迎える出来事の一つ一つを丁寧に、
正しく、信念を持って務め上げて参 りたい決意にございます。
一年間、28歳の奥田雅楽之一を
どうかよろしくお願い申し上げます。
※9日「本妙院の響き」へお越し頂くお客様の皆様へ
当日は混雑が予想されます。
お席は座布団と椅子の両方を御用意させて頂きますが、
椅子席の数が限られておりますので、
ご年配の方や、お御足の不自由な方の為に、
お座布団席の方を優先にお座り頂けますよう、
心からのお願いと、お詫びを申し上げます。
道中お気をつけてお越し下さいませ。
心からお待ち申し上げております。
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2007/5/25 唯是震一ファミリーコンサート(第21回)・満員御礼
五月晴れの23日、
四谷区民ホールで開催されました私共一族の演奏会は、
お陰様で盛会に迎え、大盛会に終えることが出来ました。
ご来場を賜りました多くのお客様に、
この場を借りまして、私奥田雅楽之一、
心からの御礼を申し上げます。
本当に有り難うございました。
以下、当日の演目及び担当です。
・『松竹梅』 三弦:奥田雅子 箏:奥田雅楽之一
・『三重奏曲』 箏:奥田雅楽之一 十七弦:唯是雅枝 尺八:山本邦山
・『箏二重奏曲一番・二番』 箏?:唯是震一 箏?:中島靖子
・『大海原』 唄:奥田雅子、唯是雅枝 箏:唯是震一、中島靖子
三弦:奥田雅楽之一 尺八:山本邦山
今回のプログラム中、
メインは何と申しましても
本年金婚式を迎えた両巨匠の二重奏であります。
私はいわゆるその為の‘露払い‘の心積もりで
松竹梅、三重奏を弾かせて頂きました。
タイプの全く違う二曲を続けて演奏することは、
とても良い経験になりました。
絹の糸をかけた名器「富士」で弾かせて頂いた松竹梅、
テト ロンの新糸(業界用語で、アライトと称します)をかけた
愛器「醍醐」で臨んだ現代曲、
両曲暗譜と覚悟を決めていただけに、
頭で考えると錯乱してしまいそうになる(特に二曲目の方)のですが、
音楽と楽器の力に自然に導かれて演奏出来たからこそ、
無事に成し得た結果であったような、そんな気がしております。
役目の前半二曲を終えて、
祖父母の『二重奏』を、舞台袖で謹んで拝聴させて頂きました。
自然に頭の下る想いが致しました。
80歳を越えた両師匠の二重奏、
今まで厳しくお稽古を付けて頂いた事などを思い返しながら、
会場へ粒となってはじける
音の一つ一つを丁寧に拾い集めているような、
そんな自分がおりました。
寂 しいような、切ないような、心持ちになったのが、不思議であります。
演奏後、
何処かで見た事がある人が、花束を渡していました。
よく見ると、私の姉と妹でした。そんな計画があったとは・・・・。
最後は御目出度く、全員で賑やかに名曲『大海原』で結びました。
富士の箏は、
今、役目を終えて、
正派会館ロビーの初代家元胸像横にあるケースに、
元の通り収められております。
「ありがとう、富士。
又、数年後、精進を重ねて、帰ってきます。
その時、また貴方の持つ
より一層貴方らしい音色を聴かせてください。
貴方と一緒に祝えた、
祖父母の金婚式、忘れないよ。
松竹梅、あなたの力を借りて、
何とか御祝儀の曲を務めました。
でもまあ・・・最後にもう一度、一緒に祝おうじゃないか。
おじーちゃん、おばーちゃん、金婚式!心からおめでとう!!」
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2007/5/18 お勧めの演奏会、ご案内
11日から広島に遠征をしておりまして、
昨晩東京に戻って参りました。
滞在先のホテルの対岸に見える宮島に
暫く意識していなかった種類の感情を呼び覚まされ、
不思議な心持になりました。
神様は、煩悩にまみれる私を
お説教なさったのかもしれません。
否、きっとそうなのでしょう。
来る6月9日に、
大変由緒有る「本妙院」というお寺で、
古典の演奏をさせて頂く事になりました。
題して「本妙院の響き」。
先日急に決まったお話でしたので、
皆様にご案内をするのが遅くなってしまいました。
ごめんなさい。
場所は東京は池上「本門寺」の山道の麓にございます
本妙院というお寺です。
こちらの御住職様とは
ここのところ不思議なご縁があって、
才能溢れる若手バイオリニストの阿部真也氏と二人、
お寺の御本堂で演奏をさせて頂 けるという、
身に余る光栄な事と存じております。
現時点で予定しております私の演目は
箏で「六段の調」、
三味線で「黒髪」(いずれも独奏)、
バイオリンと「春の海」 です。
バイオリニストの阿部氏も
独奏曲2つと「春の海」を演奏して、
計5曲となります。
御本堂の都合上、
お客様は100名を限定とさせて頂きたいと思っております。
23日の水曜日、
唯是震一ファミリーコンサートに御来場下さるお客様は、
当日「本妙院の響き」のチラシを
プログラムに挟ませて頂きます(先着300名様)。
阿部氏とはヨーロッパ・ツアーで共演を重ね、
今回は区切りとなる20回目の共演となります。
当ホームページからも
メールでのチケットの詳細お問い合わせを
受け付けておりますが、
数に限りがございますので、
チケット御希望の方は、
お早めにご連絡下さいませ。
名器「富士」との松竹梅、精一杯に演奏させて頂きます。
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2007/5/8 遺愛の名器、富士
この度は、謹んで、日記を綴る心境にあります。
新宿区市ヶ谷の正派邦楽会館のロビーに
硝子張りの箱に納め展示してある、
初代家元、遺愛の箏、
その名を「富士(ふじ)」と言います。
現在では年に一度だけ、
元旦のNHKテレビの収録の折にのみ世間に解禁され、
他ならぬ家元・中島靖子が弾く為の楽器になっています。
さて、来る5月23日、
唯是震一ファミリーコンサートにて、
私が「松竹梅」という曲の筝を
務めさせて頂くことに決まりました折に、
絹の糸を掛ける都合上
(箏は絹糸を掛けると頻繁に切れてしまう為、
普段はテトロン素材の糸を掛けていますが、
元来は絹を掛けるのが慣わしです。)、
テトロンで慣らしている私の愛器『 醍醐』に
絹の糸を掛けても良いものか、
祖母に相談してみました。
「そうねえ・・・・松竹梅・・・。
『富士』を遣ってみなさい。」
「・・・・・。はい。」
私は、驚きました。
まさか家元の口から、
富士の名前が挙がろうとは・・・
夢にも想いませんでした。
さっそく富士に絹の糸を掛けてもらうよう、
職人さんに手配。数日後、職人さんから
「今、手の調子が悪いから、2、3日待って頂きたい。
申し訳ない。」
と言われ、何故でありましょうか、
私は、その時から妙な胸騒ぎがし始めました。
3日程経って、
「無事、絹糸が掛かりました。
今、お届けに上がりました。
もし今、近くにいらっしゃったら、
すぐ弾いて頂きたいのですが。」
私はすぐ、『富士』の待つ市ヶ谷の正派、会館へ。
いざ『富士』を目の前にして、
私は本当に身震いがしました。
何かが乗り移ったようなその雲角(箏の尻尾の側)の木目、
そして、強すぎるその存在感。
(このお筝、恐いぞ。何か、怨念が籠っているような・・・)
せっかく真新しい絹が締め上ったというのに
物怖じしている場合でもないので、
さっそく箏爪をはめて、正座で『富士『』に相対しました。
私は一礼して、
テン、ツン、テン、チン・・・・・
弾き始めて間もなく、
「お前は誰だ。」
私は、『富士』に、そう言われている気がしました。
いや、気がしたのではなく、確かにそう言われたのでした。
さらに楽器が全然鳴ってくれていないという事に気がついて、
己の未熟さと、楽器の恐さを痛感しました。
私は一旦弾くのを止めて、祖母に相談してみました。
「富士はね、最初ガリガリ弾かなきゃ駄目よ。
絹を掛けたら毎日弾いてあげなきゃ、
ちゃんと鳴ってくれないわよ。
それからね、さとし、真面目に正派の手付けで弾きなさい。」
祖母は、偉大でした。
尚治まらない胸騒ぎを晴らすべく、
私はこの名器『富士』の由来を調べてみることにしました。
中島雅楽之都略伝の巻十四(著者・吉田倫子)の中で
次のように触れられてあります。
以下に転載させていただきます。
『正派創始六十周年(昭和四十七年)の年、
雅楽之都先生は満七十七、喜寿である。
各地で記念演奏会が開催された・・・中略・・・が、
音楽祭の方はあいにく足首の怪我の為、
急遽、ご挨拶と「四方の海」の指揮のみとなった。
昭和四十年のアラブでの発病、
入院以来の演奏不可能な事態に先生ご自身が
「昨年後半は私個人としては厄年であった」
と語っておられる。
この怪我の療養中に姉・間瀬雅静の逝去、
先生ご自身も年末肝臓炎から胆嚢結石と不調が続いた。
それだけに、小川楽器店から贈られた箏を撫で、
この箏を眺られるゆるやかな時間の喜びは
ことのほか大きかったことであろう。
魂を込めて作りました。
お家元に献上したいのです。
お納め下さい。
報恩
父子二代 受けし恩義は 富士よりも
尚高ければ 報恩(むく)ゆこの箏
小川秀雄
これが名筝「富士」である。返歌は
うつくしき 音色容姿(こえもすがたや)
開耶姫(さくやひめ)
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)は、
富士山本宮浅間大社の主祭神であり、桜が御神木である。 』
富士の怨念・・・・。
合掌の思いで、松竹梅、勉強させて頂きます。
この度、『富士』の写真を
当ホームページに掲載致します。
是非、ご覧になってみて下さい。
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2007/4/27 幸福(しあわせ)の木
今年の初旬、降るはずの雪が降らない、冬の中頃。
私は仕事場の近くにあるお花屋さんで、
元気無さそうに頭(こうべ)を垂れる植物を見つけました。
彼女の名前は、『幸福(しあわせ)の木』。
彼女の元気なさそうにしているその理由を尋ねてみますと、
観葉植物である為、冬場は冬眠状態にあり、
暖かくなったら、新しい葉っぱが生えて、
元気を取り戻すのだ、とか。
「これ、下さい。」
私はその元気の無い、
季節外れの観葉植物を持って帰る事にしました。
お店の人も、申し訳なさそうに彼女を差し出して、
1200円のところを、
600円にオマケしてくれました。
彼女の学名は、
ドラセナ・フラグランス・マッサンゲアーナ。
大変長いお名前で容易には憶えられませんが、
彼女の本名なので、忘れないようにします。
時期がくると、花も咲くそうです。
幸福の木の名前の由来はちゃんとあるようなのですが、
私はこの木を、私が一生懸命育てることで、
「幸せな気持ちにさせてくれる木。」
と信じています。
私の役目は、彼女を
・朝陽に当てる事、
・土の表面が乾いたら、お水をあげる事、
・葉っぱのお手入れ、
・週に一度栄養剤を10滴垂らしてあげる事、
・留守中は誰かに預ける事。
先日、彼女の葉の様子がちょっと変だったので、
彼女を買ったお花屋さんに慌てて持って行きました。
原因は、普段私があげているお水の量が足りていなかったそうで、
もっともっとあげないと、
この子は息が出来ないんですよ、
と言われてしまいました。
悲しかったです。
彼女には本当に申し訳ないことをしたと思いました 。
その場で店員のお姉さんが入念に治療をしてくれて、
大切に持って帰りました。
最近になって、ようやく新しい葉っぱが顔を出し始めました。
冬場の元気のない葉っぱが嘘のように、
瑞々しい、青々とした葉が力強く生えています。
生命の力を感じます。
近い将来、彼女の花が咲く時、
私はきっと幸せな気持ちにさせてもらえるだろうと、
思っています。
偶然に買った幸福の木ですが、
何となく良い縁を感じる今日この頃です。
ちなみに私雅楽之一、
ヨーロッパより無事に帰国しております。
ただいま。
*****************************************************
2007/4/21 ウィーン再来
ドレスデンから、日記の更新をさせて頂きます。
この度の最初の目的地は、オーストリア、ウィーンでした。
どういう訳かシーズンオフなのにも関わらず、
直行便は一両日中全て満席。
仕方なくドイツのフランクフルトを経由して
ウィーンへ入ることにしました。
飛行時間10時間超の機内では、
寝つきが悪い性分の私には過酷以外の何物でもないのですが、
今回は前日のお 仕事で疲れていたせいか、
4、5時間は眠ることができたように思います。
ウィーンへ到着したのは現地時間夕方。
半年ぶりの再来でした。
空港まで親友が迎えに来てくれていて、
久々の再会に肩の力が抜けました。
翌朝からコンサートでしたので、
その日は夕食を早々に済ませ、
ホテルで休みました。
翌日の演奏は、
止むを得ずぶっつけ本番といった具合になりましたが、
さすが音楽の都と呼ばれる だけあって、
ウィーンの深い懐に吸い込まれるように、
とても自然に弾かせて頂けたように思います。
この街へ来る度に感じるのですが、
「ああ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、
偉大な作曲家達がこの街に住んでいたのだな。」
そう思うと、つくづく感慨深いものがあります。
西洋音楽の黄金期、「古典派」と呼ばれるその時代、
多くの音楽家が音楽の都ウィーンを目指しました。
馬車で、どれほどの日数を要したのでしょうか。
場所にもよりますが、遥々参らんとする音楽人は、
おそらく数十日では下らなかったろうと思います。
ウィーンは今も尚憧れの地に相応しく、
煌びやかな王宮の街として在 り続けているように思えます。
それは、「伝統を守る」ウィーン人の姿勢あってこそで、
ヨーロッパ諸国の中にあっても、
ウィーンに住む人々の街を受け継ぐ精神は、
意識高くあるようです。
同じ首都でも、
わが国の東京及び東京人の意識とは、
比べるまでもなく、
大都市東京の未来は本当にこのまま合理的な社会へと
発展の一途を 辿って良いものなのかと、
つい考えてしまいます。
・日本人たる者は全員和服だ!
・タクシーは使わず、人力車で走れ!
・家は平屋に畳、食事は正座でちゃぶ台だ!!
・・・・・などという訳にはいかないでしょうが、
にしても、もう少しこういう生活感が垣間見えてもいいのかな、
と思います。
それと、こちらで気が付かされる事がもう一つあります。
もう少し日本人の若者は両の手を合わせる時間、
神様、仏様、ご先祖様を拝む時間があった方が良いと思います。
敬虔な気持ちなれる時間は、
人が、人に戻る時。
それによって大切なものに
気が付かされるものではないかと私は思います。
ウィーンには、街の心臓部に
シュテファン寺院と呼ばれる巨大な教会があって、
日々、絶え間なく人が
(観光客も多いですが・・・)出入りしています。
祭壇に向かって涙を流しながら何かを訴える人は、
老若男女を問いません。
ウィーンという街には、多くを教えられます。
私はそんなウィーンに感謝すると同時に、
あの街が大好きです。
しかし私はウィーン人ではなく、日本人。
他の国から教えられた大切な事を、
日本人としての己の人生に還元し、
微力ながら、それらが人のお役に立てられればと、
熱い想いを心に秘する今日この頃の私であります 。
※ウィーンでお目に掛かった方々へ
雅楽之一です、
初めてお会いした方々、
久しぶりにお会いした友人達、
お目にかかれて嬉しかったです。
ご縁は一生涯大切にさせて頂きます。
今後も、ウィーンという街で、
自身の心に色々な思い出を刻み込んで参りたいと思います。
又、この度展覧会の為に日本からいらっしゃった先生方、
長旅本当にご苦労様でございました。
お疲れは出ていませんでしょうか。
ご縁を頂けました事に、心からの感謝と御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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2007/4/11 おもてなし
日記の更新が、いつも微妙に遅延している雅楽之一です。
これからも緊張感を持ったマイペースで書かせて頂きます。
新潟で盛大に催された演奏会を終えて、ひとまず帰京しております。
今回も身に余る大役を頂きまして、
果たして今の私に務められるものかと案じておりましたが、
兎にも角にも、自分の力を出し切ることが出来ました。
今回もご一緒させて頂いた中島靖子師には、重ね重ねの感謝です。
私は明日、再びヨーロッパへ発ちます。
今回はウィーンでも、ドレスデンでも、
企画されている演奏会かございまして、
必要に応じて筝も一面担いで参ります。
以下、ウィーン演奏会の概要です。
ネオ・ジャパニズム委員会主催
「第二回ネオジャパニズム特別展覧会」
主催:ネオ・ジャパニズム委員会
企画協力:1000年委員会
後援:ウィーン市、読売新聞社本社、(財)日本手芸作家連合会
ウィーン市商工会議所刺繍委員会
協賛:ウィーン市商工会議所
賛同:パレ・パルフィ
ウィーン大学日本学
協力:オーストリア航空
会場のパレ・パルフィーは歴史のある場所で、
嘗て天才モーツァルト少年も演奏をした場所なのだそうです。
肖りたいものです。
ドレスデンでは初の自主企画、
題して『もてなし』というものを開催致します。
これは私が信頼する日本人の友人と二人で企画しているものでして、
その目的は日本のおもてなしの心を
ドイツ在住の方々に感じて頂くためのものです。
まず、私が借りているドイツのアパートの部屋を
全くの日本の空間に装飾します。
日本から緋毛氈、掛け軸、茶の湯に必要な諸々を運び、
灯りは全てロウソクに統一。
もてなす側は私を含めて4人、
全員お着物でお客様をお迎えさせて頂きます。
スペースに限りがあるので、
お客様は10人ずつを数回に分けて御招待する形に し、
茶道を志す友人2人が茶事を担当し、
お客様一人一人にお茶を点てていきます。
その間、私は茶の湯音頭(別名:茶音頭)という曲を
三味線で弾き唄いさせて頂こうかと思っております。
お抹茶のおもてなしが終わったら、
バイオリンと春の海。
日本の心を込めて演奏させて頂きます。
お客様からどのような反応が返ってくるかが
少々不安でありますが、
日本人としての、日本人らしい大切な心ですので、
しばらくは根気強く続けて参りたいと思っております。
次回の開催は8月頃になるかと存じます。
参加ご希望の方がいらっしゃいましたら、御相談ください。
帰国後、結果を報告させて頂きます。
行ってきます。
※もてなしスタッフの方々へ
色々お世話になっております。
私が日本にいる間に着々と企画を進めて頂き、
大変有難かったです。
又、連日のお稽古、ご苦労様。
精進して臨もうとするその心意気が、
とっても嬉しいです。
素晴らしい会にしましょう。
よろしくお願いします。
※新潟でお世話になった方々へ
皆々様、お騒がせしました雅楽之一です。
お疲れは出ていませんか?
本当に色々とお世話になってしまい、恐縮しています。
パーティーで私が大真面目にスピーチした折に、
家元が爆笑していた理由は未だに謎ですが・・・。
当日は本当に素晴らしい演奏会になりましたね。
真田先生、大車輪のご活躍で、
頭の下がる想いであ ります。
皆々様との再会を心待ちにしております。
多くを学ばせて頂きました。
本当にありがとうございました。
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2007/4/2 趣味
「雅楽之一さん、趣味は?」
と問われて、その度言葉に詰まる私雅楽之一は、
今日ここで、長年の疑問を晴らすべく(ちょっと大袈裟ですが…)、
自身の趣味が何であるかを決めておこうかと思います。
以下、候補を挙げてみます。
・エントリーNo.1、大相撲観戦
・エントリーNo.2、読書
・エントリーNo.3、音楽(クラッシック、ジャズ )鑑賞
・エントリーNo.4、料理及び食べる事
・エントリーNo.5、一人旅
いずれも私の趣味と呼ぶに相応しい、
甲乙の付け難いものばかりですが、
私は敢えてこれら候補の中から
一点のみを選出したいものと考えております。
大相撲観戦は、
私が小学校入学以前から続いているもので、
漢字が読めなくても幕内力士の名前は全部読めたという、
記憶があります。
その頃は千代の富士の全盛期で、
私が実際リアルタイムに観戦したのは
それ以降という事になりますが、
やはり相撲も、時代を遡る程に奥が深く、
心技体の究極が何であるのかを教えられま す。
私が1番好きな力士は
不滅の69連勝の金字塔を打ち立てた双葉山。
幼少の頃右目を失明するという、
力士にとっては致命的なハンディを背負いながらも、
立ち合いに相手を受け止めてから攻める
正攻法の相撲で69連勝。
圧巻であります。
読書は、ある一時代のものを愛読します。
森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎といった作家は、
私の中では絵巻物の価値があると思います。
これらの作品群に惹かれる理由は、
日本人らしさ、
にあると思います。
日本人の魂、心、感性、
そして何よりも日本語のその美しさには魅せられます。
日本人である私が
自分の血を誇らしく思える貴重な瞬間であります。
音楽鑑賞。
私は生まれながらに両親のかき集めたレコードの影響で、
世界各地の音楽を耳にしてきました。
中でも両親はJazzをこよなく愛しているので、
私もJazzには特別な想いがあります。
クラッシック音楽の分野は
ここ10年の間に私自身で開拓した比率が高く、
今も尚引き続き開拓中でありますが、
普遍性のある音楽は、
気まぐ れな私のどんな心境にも素直に染み渡る、
大変有り難い存在であります。
さてさて、食。です。
私の血筋は祖父に代表されるように美食家、
いわゆるグルメが多く、
もはや生きる為に食べるのではなく、
食べる為に生きています。
私も近年、一人で食事をする機会が増えましたので、
必然的に料理をする機会も増えました。
「得意料理は何ですか?」とよく聞かれるのですが、
「冷蔵庫の残り物で一 品作ること。」
とお答えしています。
これは実際得意である気がします。
やはりどんなに忙しい最中でも、
食事だけは適当にしないようにしています。
そして、美味は無条件幸福であります。
一人旅は、
もうかれこれ7、8年前になりますが(時の経過は早い!)、
一人で海外へ旅に出て以来
『自分探しの旅』と題して国内外、
色々な所に行かせて頂きました。
私は感動屋さんですので、
行く先々で何かと感激しっ放し。
寂しい・・であるとか、
帰りたい・・であるとかいう心境になることが無いことが、
まず救いで す。
幼少の頃、何処か遠くに連れて行かれて、
おうち帰りたくなる、
そんな夢をよくみましたが、
実際の私は、
そこまで繊細な作りにはならなかったようです。
今、手元にあった国語辞典で
『趣味』を調べてみますと、
趣味:専門や職業としてではなく、
楽しみとして愛好している事柄。
とあります。
以上にお示しした5点の中から、
この意に不適当なものがあるのかを検討してみますと、
音楽鑑賞は、(ジャンルが違うとはいえ)専門、
職業に関係が無いともいえませんので、
除外の対象に致します。
それから、
読書や一人旅は楽しみというより、
自身の心に響く、実のある瞬間を求め、
ある種の真剣さをもっ て愛好しているものですので、
趣味とは呼ばないように致します。
食か、大相撲観戦か。
この2点をさらに熟考しなければなりませんが、
楽しみとして愛好
の言葉に相応しいのは、
私の中では大相撲観戦であると思います。
料理や食事も確かに楽しいのですが、
食は衣食住というだけあって、
生活感があまりにも強く、
時として義務感に駆られて行っている部分も
多少あるかと思います ので、「除外」にします。
・・・・という訳で、
大相撲観戦、見事当選おめでとうございます。(?)
私は、これからも、
暇を見つけては国技館へ頻繁に足を運びます。
ですから大関陣、
もっと頑張ってください。
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2007/3/26 祖父の受賞
3月23日、06年度日本芸術院賞が発表になりました。
その中にあった、唯是震一の名前。
箏曲家として、又、伝統音楽の作曲家として、
84年の祖父の人生が日本国に大きく貢献をした、
その証を頂けたのだと思います。
孫の私も、本当に嬉しく、感謝の気持ちで一杯です。
後日、天皇陛下から直々に表彰して頂けるそうです。
受賞発表の前日、祖父と話しました。
若い頃の話、作曲、演奏の事、これから先の事・・・・・
・・・・・唯是震一。
北海道に生まれ育ち、
尺八を吹く父と、筝を弾く母の影響で、
少年震一も箏を始めた。
上京し、宮城道雄氏に弟子入り、その時恩師の宮城先生に言われた
「唯是君。君は作曲を専門にやるといい。」
の言葉は、その後の震一の人生を決定付けたという。
学生生活の中途で戦争に行き、戦地では命懸けの日々を過ごす。
終戦後、念願叶ってアメリカへ留学、
アメリカでの活躍は遠く離れた日本でも噂される程であった。
カーネギーホールで演奏をした日本人第一号という説も。
帰国後、震一は次々に作品を発表。
この頃の作品は、
当時は誰にも演奏できないと論じられるほど
演奏技術における新境地開拓であったが、
今や唯是震一の曲は、若手演奏家の登龍門である。
やがて正派邦楽会の後継、中島靖子と結婚。
二人の結婚は、新聞で大きく報じられた。
震一は作曲家として、確固たる地位を確立する 一方、
演奏家としても毎年リサイタルを開催し、
音楽家として充実の日々を送る。
現在は妻靖子、三人の姉妹、
皆すこぶる元気で、
二人の愛娘、三人の孫、優秀な秘書、
多くの友人、弟子達に囲まれて、
幸福な人生を送っている・・・・・・
・・・・・・・祖父は厳しく、強く、そして優しい人。
その厳しさが、時に祖父自身の精神、
心身に大きな試練を与えることもあったのかと思うと、
私は、胸が痛くなります。
しかしながら祖父は、どんな苦境からも決して逃げることなく、
天性の明るさと、
持ち前の強さで忍耐強く乗り越えて来たのだと思います。
本年祖父 は7回目の年男、
猪突猛進、まさにその典型である気がしますが、
84歳となる今も、現役でバリバリ、真っ直ぐにお仕事をしています。
私は心から我が祖父を尊敬致します。
「おじいちゃん、この度は本当におめでとう。
唯是震一が如何に偉大な人であるかを、
僕を含め側にいる人は皆よ〜く知っていることだと思いますが、
今回このように公に改めてその功績が発表されたことは、
これから先、何十年か続くであろう僕の人生にも
大きな勇気を与えてくれる出来事になりました。
受賞おめでとうご ざいます。
どうかいつまでも、元気でいて下さい。
本当に、心からおめでとう。おめでとう、おじいちゃん!」
「 唯是震一、万歳!!」
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2007/3/19 格言に支えられて
ちょっとハードな一週間を無事に(?)終えて、
今ようやく、その間務めさせて頂いた演奏を振り返る心境にございます。
迫りくる舞台に備えて、日々努力をしているつもりなのですが、
その努力がその時々の最大限のものでなかった事は
自分自身が一番よく知っております。
恥ずかしながら同じ芸を志す者として
芸に人生を 懸けた先人の偉大さを、
身を持って痛感しております。
そんな怠け者の私が、
自分の努力度の目安にしているのが、
やはり”暗譜”です。
『曲は全部暗譜だ』
祖父と固く約束をして芸道を歩み始めましたが、
今になって、祖父のその言葉の真意が何であったのかを実感する事が、
最近よくございます。
演奏のお仕事が短期に集中すると、
手慣れない曲(あるいは初めて習得する曲)から
順に浚っていくのが私の勉強方法なのですが、
暗譜をする作業というのは決して容易なことではないので、
一曲に少くない時間と労力を注ぎ込みます。
その時に抱えている曲の中で既に暗譜をしている曲の割合が
多ければ多いほどに時間の余 裕が出来るので、
そんな余裕が生まれた時にはその分、
一曲一曲、丁寧に稽古が出来ます。
『若い頃の一年は、将来の十年分』
これは先人の言葉ですが、
歳を重ねるほどに何かと忙しくなる
この業界ならではの格言であるなと思います。
要するに私は今時分、忙しいなどと行っている立場ではなく、
1に稽古、2に稽古、稽古稽古稽古・・・
の姿勢あってこその未熟な段階にあるのだと、
先週務めた夫々の演奏を反省し、
自身の気持ちを引き締め直す思 いであります。
言うは易し。心して実行致します。
この業界は色々な意味で、
演奏をお仕事として生活をしていく事が
大変に厳しい世界であると私はつくづく思います。
行く先々で曾祖父、祖父、祖母、母や叔母、
その他先生方のお話を伺う度に
「自分は、こういう恵まれた環境に生まれたからこそ、
お仕事が頂けるのだ」
素直にそう感じます。
ここにきて、
自分が必要とされる事の有難さを、
今改めて痛感しています。
言葉には置き換えようもない感謝の想いを、
ただ持て余すばかりです。
私はひたすらに自分の役割を精一杯させて頂くことしかできません。
『自分が必要とされていたら、赤字でも行け』
これは曾祖父、中島雅楽之都が残してくれた言葉です。
私は祖母を経由して、このお言葉を頂戴しました。
全国に多くの演奏家を輩出した初代家元の、
説得力のある貴重な言葉であると思います。
曾祖父は、本当に偉大な人間であったと
あらゆる場面で気が付かされます。
仮に命が果てても、善の心は永遠であります。
色々思うがままに心境を書き連ねてしまいました。
深く考えさせられる事が多々、去来する今日この頃です。
日記の最後に、祖母中島靖子が私に教えてくれた大切な言葉を残します。
『常に謙虚、常に感謝』
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2007/3/9 スケジュール
ホームページに、スケジュールのボタンを新設致しました。
スケジュールとは申しましても、
私が出演させて頂きます大きな演奏会と長期不在をするであろう
海外遠征の2点のみに絞って掲載させて頂いております。
私はホームページ開設当初、宣伝を目的とした自身の演奏スケジュールは公開せず、
色々な方々と分け隔てな く直接意見交換が出来る事を唯一無二の目的として、
当ホームページの製作に踏み切った次第ございましたが、
予ねてから演奏・遠征スケジュール公開の御要望がございまして、
私も色々思案を重ねました結果、
今回ようやくご案内出来る段階まで至りました。
最近、祖母や正派事務局の方から
「雅楽之一がいつ、何処にいるのかがわからない!」
「最近、雅楽之一の行動に謎が多い!」
「雅楽之一は次いつ海外へ行くのか!」
といった類のお言葉も合わせて頂戴しておりまして、
同様の事を思っていらっしゃる方もおそらくおられたのではないかと、
今更ながら案じております。
不届きな面が多々ございました事、お詫び申し上げます。
スケジュール以外でも、地方へお仕事や、
私自身の勉強等の目的で出掛けている事は頻繁にございますが、
細かな 点はひとまず割愛させて頂ます。
勝手ばかりを申しておりますが、
ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
海外遠征は長期の不在であるのと、
連絡がとり難い状況であるということもあるので、
細かい日にちまで全て掲載するように致します。
ここ最近、偶然に演奏のお仕事が重なり、
今は来週の北海道、京都の演奏会の稽古、
4月にございます新潟の演奏会の下合わせ、
これまた来週にあるビクターのCD録音の下合わせ、
とにかく今週は楽器の前に座りっぱなしで、
若干27歳にして私雅楽之一、早くも膝がやや痛んでおります。
先行きまことに不安でありますが、
スポーツ・ジムに通うなどして、
健全な肉体を維持して参りたい所存でございます。
舞台や録音、本番のその一つ一つ、一曲一曲を大切に務め、
多くを吸収し、必要とされることの有難さを痛感してきたいと思います。
スケジュール、お暇な時に御笑覧下さいませ。
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2007/3/1 北の大地から
来月の3月14日に北海道旭川市、大雪クリスタルホール音楽堂で、
「邦楽の夕べ」 という催しが行われます。
そちらで客演をさせて頂く予定の私は今
その下合わせの為に旭川市に入っております。
本年は暖冬、旭川も雪が少ないとかで大雪の面影はございませんが、
それでも街は見渡す限り真っ白な雪の化粧をして、
この冬雪にご縁の無かった東京人の私も、
少々季節感を持ち直しております。
東京のせわしい生活に浸かってしまっていた私も、
旭川では心持ち余裕を持って時間を過ごすことができますのは、
他ならぬ自然の力のお蔭様です。
旭川は私の祖父であります唯是震一師に縁のある場所です。
祖父は自身が北海道出身だといこともございますが、
20年程前から旭川に出稽古をするようになり、
こちらでご活躍の先生方と
長らく近しいお付き合いをさせて頂いているようでございます。
その祖父 は今、南の島にバカンスに行っておりますので
(いつの間にか出掛けていて私も驚きました…)
今回は私が一人で当地に参っている次第でございます。
祖父母と一緒に遠征をさせて頂く折は、
現地の方々と祖父母の会話を粛々と聞く事こそが学ぶ者の姿勢、
私の立場だと教えられましたが、
今回のように一人きりになりますと、
黙々とご馳走を食べる訳にも参りませんので、
現地でお世話して下さる先生方と色々なお話、
昔話、苦労話、楽しい話、芸の話、未来の話などなど、
させて頂いております。
中でも私が必ず伺いたいお話は初代家元の話。
そして、これから先の未来の話です。
この原点と未来の両極を意識的に感じながら
歩みを進めて参ります事は、
温故知新、未来への確かな一歩につながるのかと私は信じております。
先代の話になりますと、昔からの先生方は皆様顔付きが変わられて、
中には涙ながらにお話をして下さる先輩もいらっしゃいます。
中島雅楽之都(なかしまうたしと)という人間の心の中に
普遍的で確かなものがあったからこそ、
今日もこのようにして人の心の中で生き続けるのでありましょうか。
いずれにしましても私には到底及ばぬ境地の話でございます。
旭川は食べるものが美味しくて、
海の幸、お肉、乳製品、
何かを口にする度にいちいちハッピーになっております。
お仕事で来たのに、
こんな良い思いをして大丈夫なのかと
ちょっと恐縮の気持ちも募りますが、
その分しっかり稽古を積んで、
きっちり舞台を務め上げたいと思います。
近隣にお住まいの道民の皆様、
3月14日、大雪クリスタルホール音楽堂へ
ご足労願えれば幸いに存じます。
私が致します演奏曲目は唯是震一作曲の、
四重奏五番と、自作の譚詩曲の2曲です。
とても素敵なホールです。
一人でも多くの方に聴いて頂きたいと思っております。
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2007/2/23 学校の先生 その2
横浜市芸術文化進行財団様から御依頼頂いた小学校の講義は無事に終了致しました。
「日本の音とは何か」
というテーマを掲げて始まった今回の講義は、
私が手探りで練り上げました計画案に基づいて、授業を進行させて頂きました。
以下、その計画案です。
《邦楽ワークショップ 汐入小学校》
講師:奥田雅楽之一 助手:田邉雅震翠
1、日本の音特有の音いついて例を挙げてもらう
例:ししおどし 風鈴 寺の鐘etc...
2、日本の音についての自分の考えを簡単に書く
・・・・(1) (生徒全員) 提出する
3、筝を聴く
・楽器の説明
・講師演奏(毎回の授業ごとに、緊張感を持って演奏すること)
・生徒に感想を発言してもらう(数名)
4、筝を弾く
5、6名のグループにふり分け、各グループに一面づつの筝を割り当てる。
・さくらを演奏
5、さくらの練習(講師2名、責任を持って、生徒一人一人を徹底指導すること)
6、筝でこんな表現もできます
虫の声や川のせせらぎなどを音で比喩
最終段階、
・グループごとにさくらを演奏
(講師2名が三味線、胡弓を付けて三曲合奏の形態をとる)
練習の成果を発表してもらう
・日本の音についての感想を簡単に書いてもらう
・・・・・(2)(生徒全員)提出
以上。
日本の音とは何か。これは面白い答えが返ってきました。
「石焼いもの歌」
「お葬式の時にポクポク叩くやつ」
「お仏壇のチーンというもの」
「海の波の音」
「流しそうめん」
自然に纏わるものと、仏教と結びつきのあるものとが多く回答されました。
予想していない答えばかりだったので、
子供の想像力は素晴らしいものだと改めて思いました。
講師が演奏する際は、生徒も固唾を飲んで聞き入ってくれた様子で、
こちらも真剣に演奏をさせて頂けました。
弾き終えた後、生徒達から必ず「おーー。」と歓声が上がるので、
私も必要以上に張り切ってしまいました。
今を生きる子供達に、音楽を聴く姿勢 が保たれていたことには、
正直安堵致しました。
音楽の放つメッ セージはやはり言葉とは違って、
心に真っ直ぐ届くものなのでしょうか。
いよいよ自分たちが弾くという時になりますと、
箏爪のサイズがバラバラであること
(それを一人一人に割り当てることが大変であったこと)と、
皆楽器に早く触りたいといこととで緊張感が途切れてしまって、
場を落ち着けるのに幾分時間を要しました。
もう少し能率の良い方法があったのかもしれません、
これが今回一番 の反省点であったかなと思っています。
しかしながらさくらの練習が始まりますと、
こちらも緊張感うんぬんを言っている場合ではなく、
「発表会までに、とにかく全員が弾けるようにならねば」と、
助手の田邉くんと手分けして、おそらく生徒以上に、必死になりました。
その甲斐あってか、発表会では皆、立派な「さくら」の合奏が出来ました。
大きな拍手をも らって、照れくさそうにしながらも、喜んでいる様子でした。
実は数日前、生徒からの感想が私宛に送られてきまして、
その一部を公開させて頂きます。
いろいろおことでひいてみたい。
こきゅう(胡弓)おぼえたい。
はじめこわそうだったけど、やさしかった、かっこよかった。
はじめて見たとき、この人たち本当におことの先生?って思った。
おしえかたがうまかった。
先生のおことやってる(弾いてる)ところがすごかったです。
おこと とシャミセンがうまい。
きものが印象にのこった。
名前(雅号)がかっこよかった。
やさしく教えてくれて、ありがとうございました。
今回の講義は、幾分欲張った感じがしないでもないですが、
大方計画通りに修了させて頂くことができました。
これは他ならぬ小学生の予想以上の集中力、想像力のお蔭様で、
持てる能力を精一杯発揮してくれた生徒の皆さんには、
本当に感謝しています。
※汐入小学校の皆様へ
校長先生始め、教頭先生、6年生担任の先生、音楽の先生、
その他の諸先生方、それから生徒諸君、
私は今回の講義で多分皆様以上に勉強になりました。
美味しい給食もご馳走さまでした。私はマーボー豆腐が好きでした。
それから、牛乳パックの開き方教えてくれてありがとう。
又、お会いしましょう!
最後になりましたが、横浜市芸術文化振興財団職員のお二方、
そして助手の田邉君、本当にありがとうございました。
今回の事業が無事に終わったのも、お三方のお陰です。
感謝しています。ありがとう。
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2007/2/16 過ちから学ぶこと
ドイツより、無事に帰国しております。
気持ちを切り替えて、日本の生活をこなして参りたいと思います。
日本でお世話になっている皆々様、
引き続き奥田雅楽之一をよろしくお願い申し上げます。
2月10日、まだドレスデンにいた私は、
身辺の人間に頼まれたお土産のハサミとクマさんのグミなどを買いに、
2、3キロ離れた場所にあるショッピング・モールに参りました。
通りかかった教会に何ということ無く立ち寄りますと、
入り口にコンサートの催し案内が沢山張り出されておりました。
その中でふと目に留まっ た
「Ein Deutsches Requiem op.45. 13,Feb.」 の文字。
これは偉大な作曲家の3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)と称されるところの
その一角を担う"ヨハネス・ブラームス"の傑作で、
彼の恩師であったロベルト・シューマンと
最愛の母親の死去とに直面したことで作られたとされるものです。
この「ドイツ・レクイエム」。
2月13日は、大作曲家リヒャルト・ワーグナーの命日であるため、
その為にドイツ・レクイエムが上演されるのかなと決めて掛かっておりましたが、
日本に帰って参りましてから、大切な事を忘れていたのに気がつきました。
古都ドレスデン。この街は大変悲惨な歴史を刻んでおります。
1945年2月13日、14日、ドレスデンの歴史上最悪の事件がおこりました。
13日、英軍による空爆、翌14日、追い討ちを掛ける米軍の空爆。
魔の2日間とでも申しましょうか、一瞬にして多くの人の命が奪われ、
美しい街の大半(85%ともいわれてい ます)とその歴史が壊滅致しました。
戦争に限らず、争い事というものは双方に原因と責任があるものであると私は思います。
誰が悪い、何処が悪い、などという問題ではないですが、
疑いの余地の無い悲しい出来事であるのは、動かぬ事実です。
今、私の大切な友人がパレスチナに行っておりますが、
パレスチナで今も尚そうであるように、
世界中で、国 対 国、宗教 対 宗教の紛争は絶えません。
どうして、いつまで経っても、人は戦争を繰り返すのでしょうか。
何故過ちを繰り返すのでしょうか。
本当に無駄なことであります。
私は幸せな時代に幸せな環境に生まれた、全くもって苦労を知らない人間です。
今私は、世界各国の色々な地に自分の足で出向くことで、
色々なことを学んでいる気がしております。
このような時間を持とうとする私の贅沢な我侭をお許し下さっている皆々様に、
心からの感謝を申し上げたいと思います。
一人間として正しくある事とは何なのか。
常に求めて参りたい、私にとっての最重要の課題であります。
久しぶりに、ドイツ・レクイエムを聴こうと思います。
ご冥福をお祈り致します。
合掌
*****************************************************
2007/2/7 ドレスデンから
私は今ドイツのドレスデンに来ています。
前日まで山口県の岩国市にいた私は、
新幹線で東京の自宅に戻り、荷造りをし、翌早朝東京を出て、
成田からウィーンを経由し日本時間15日の明け方、ドイツに入りました。
岩国で催された盛大な演奏会の余韻冷めやらぬままに・・・
という感じがしております。
岩国の演奏会には 祖母である家元・中島靖子も出演した関係で、
ここ最近久しく持てていなかった祖母と真剣に向き合う時間を、
身の引き締まる思いで共有致しました。師と向き合う合奏は、ただただ
「しっかり付いて参ります」
一心不乱のその想いでございます。
この演奏会は岩国市にあるシンフォニア・大ホール(非常に大きな会場)でとり行われ、
お客様も数百名、あるいはそれ以上の満員御礼という感じでございました。
お越し下さったお客様方々には心からの感謝と御礼を申し上げます。
お忙しい最中足を運んで下さり、有難うございました。
感謝の想いはとても言葉ではお伝えし切れませんが、
兎にも角にも精一杯の演奏をさせて頂きました。
その私の心が皆様の心に届いていて下されば、光栄に存じます。
約半年ぶりに降り立ったドレスデン。
この街、どちらかといえば明るい雰囲気の方ではないのですが、
どういう訳か私はこの厳かで、力強いこの街の精気に魅せられます。
明日から一週間、充電期間です。
オペラ、コンサート、バレエ、絵画、その傑作の一つ一つを感じるがまま吸収して、
感激の涙を目一杯流して、
純粋な気 持ちで又日本の生活に戻りたいと感じております。
※岩国でお世話下さった皆様へ
行き届いたお心配りの数々、有り難く存じております。
皆様の筝曲に対する真直ぐな気持ちが私を奮い立たせて下さり、
私も真直ぐ舞台に上がることができた気がしております。
このご縁を大切にしたいものと切に願ってございます。
演奏会後のパーティーでのジャンケン・ゲーム、
優勝しちゃってごめんなさい。
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2007/1/29 横浜・サンハートのコンサート
1月28日、横浜市の旭区にあるコンサートホール「サンハート」で、
私のレクチャー・コンサート「雅楽之一、サンハートをジャック!」が企画、開催されました。
時期早々にチケット完売となっていたそうで、大変有難い光栄と存じておりました。
この場を借りて心からの御礼を申し上げます。
以下、当日のプログラムです。
第一部
1 六段の調べ (筝)
2 平家琵琶「鱸」 (琵琶)
3 百鬼夜行 (三味線)
4 中国民謡・日本民謡 (胡弓)
5 譚詩曲(バラード) (筝)
第二部
1 江差追分 (尺八)
2 千鳥の曲 (筝)
3 さくらさくら変奏 (筝、三味線、胡弓)
4 火の島 (筝)
5 春の海 (筝)
前半は全て私の独奏、後半は尺八吹奏家の友人をお願いして、共に演奏を致しました。
この度、私が苦戦を強いられたのはこの曲数の多さというよりも、
お話をしながら進行していくという主催者側の趣旨にございました。
日本の伝統音楽および伝統楽器に今日まで御縁の薄かったお客様が 多くお集まりになるという事前の情報もございましたので、
レクチャー・コンサートと謳っている限りは
出来るだけ確かな日本の音と、実の詰まった話をお伝えしよう!
そう意気込んで本番に臨みました。
本番当日。
最初はまるで内気な青年の如きに、
人前でお話する重圧に打ち負かされてしまいそうでございましたが、
いざマイクを手にすると、どういう訳か内気な青年は完全に消え去って、
中途からは緊張の面持ちも何処へやら無我夢中でベラベラベラと喋り(過ぎ)、 最早この時点で緻密に練ってあったトークの流れはあっけなく水の泡と化しておりました。
話ながら四種の楽器を取っ替え引っ換え演奏しておりますと、
だんだんと自分が何をしているんだか訳がわからなくなるものでして、
結局最後は予定より10分程超過し笑って誤魔化す始末でした。
ご来場賜ったお客様に果たしてご満足頂けたものかとその結果を案じておりましたが、
終演後、お 客様に「楽しかった!」とお声を掛けて頂き、
収集したアンケートもひとまずは好評のようで、
ようやく安堵、胸を撫で下ろしております。
トークを交えながらの演奏会、
今回はいつもに増して自分の能力に限界を感じました。
一演奏家としても、一人間としても、
まだまだ全然修業が足りていないことの証と痛感しております。
今日から又、気持ち新たに精進しなければなりません。
※サンハートへ御来場下さったお客様、サンハート関係者皆々様へ
お忙しい日曜日の貴重なお時間を私のコンサートの為に割いて下さり、
感謝の気持ちが一杯に溢れています。
ご質問やご意見、遠慮なくメールで送って下さい。
本当にありがとうございました。今後共よろしくお願い申し上げます。
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2007/1/24 束の間の休日
先日、出先で急にお仕事がキャンセル(いわゆるドタキャン)になり、
その日の予定が無くなった私は雲一つ無いお天気に心奪われて、
そのまま帰宅するのも詰まらないかなと思い、
気分転換を兼ねて一人車で西に向かうことにしました。
処狭しと並び立つビルディングの群像を横目にマイ・カーをひたすら走らせると、
首都高速道路はやがて名を変えて中央高速道路となります。
暇人な私は行く宛てもなく、西へ西へ。
このまま行くと山梨県なのかな。
などと思いつつも、進むほどに変わりゆく景色と共に
私の心も少しずつ柔らかくなっていくようで、
なんだか段々と有り難い心持ちになって参りました。
私が偉そうに言うまでもないのですが、
大自然、山々、木々、空気、海、太陽…
これらから発せられるパワーは人間の次元を遥かに越えた偉大なものでして、
言い換えればまさに天のお恵みそのものを頂いて、
都会生活で力んだ私の肩の力がフと抜けていく気が致しました。
どれほど進んだのでしょうか、
やがて雪化粧をしたお山の頭(かしら)が幾つも見えて参りまして、
そろそろ腰も伸ばしたいなということもあり、
いわゆるサービスエリアに立ち寄ることにしました。ここは何処かな。
『八ヶ岳』成る程。
澄んだ空気、冷たく刺すような風、目の前に聳え立つ山!山!!山!!!
その雄大な力に私もまざまざと魅せられて、
苦しみも喜びも六段も千鳥の曲も何もかも忘れてしまいそうでした。
八ヶ岳サービスエリアは大変充実していて、
清潔で従業員も丁寧で明るく、疲労をしっかり癒してくれました。
私はそこで焼きたてのパンと
八ヶ岳トマトジュースたるものと信玄餅をお土産に購入して、
車に戻りま した。結局その日は諏訪湖の先まで行って、
心臓を患っている友人を見舞って買った信玄餅を渡し
(私の突然の見参に大変驚いて尚心臓に悪そうでしたが…)、
大変美味しい信州蕎麦を食べて東京に引き返しました。
たまにはこういう日があってもいいものだなと、
今日という日に感謝の出来る、
そんな思い掛けない束の間の一日でした。
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2007/1/15 学校の先生 その1
昨年十一月の末日頃でしたでしょうか、
共通の友人を通じてある女性から「折り入ってご相談が…」と連絡があり、
後ほど新宿のカフェで落ち合う事になりました。
その方は財団法人横浜市芸術文化振興財団の職員さんで、 話の内容は財団の推進事業の一環として
小学校で日本音楽の講義をして頂けないか、
というお仕事の依頼でした。 「私で出来る事なのであれば是非させて頂きたい」
と即時御返答申し上げた のですが、
職員の方はちょっと表情を曇らせるに
「子供達の中には授業を聴ける姿勢でない子もいます。
雅楽之一さんにご迷惑が掛かる事も…」との事、
どうやら生徒達が私の講義を妨げる事や
楽器を破損させる恐があることを懸念なさっている御様子でした。
私は以前から子供たちの教育に携わる機会を増やしていきたいという願 望があって、
日本の伝統文化に関心度「薄」の傾向強い今日に自ら進んで貢献していくことは、
現実を痛感する意味でも打開する意味でも、
取り組まねばならない活動と思っておりました。
そう考えている最中のお話でしたので、
「明日の日本教育の是非に、自分の力量が試される有り難い機会だ!」
と感じ、
この度は全責任を負う覚悟で臨む気持ちを伝え、
改めて承諾の旨を申し上げました。
講義は本年一月、授業二時間分の枠を頂いて、
それを三日間講義させて頂くお約束です。
さて、何をどう伝えて行けばよいものか、手をこまねいております。
ひとまず私は講義をするに当たって、
子供達に一つのテーマを提示してみ ようかと思います。それは、
『日本の音とは何か』
21世紀を生きる生徒達にとって、日本の音とは一体どんな音なのか。
正解の無い課題になると思いますが、
我々日本人の持つ感覚の本質を追求する意味で、
我ながらなかなかよいテーマだと思います。
そう思い立ち、それを軸にひたすら案を練っている今日この頃でございます。
実は先日一回目の講義を終えてきたのですが、
三回の講義をやり遂げた時点で、この結果をご報告しようかと思っています。
日本の音、
例えば、ししおどし、風鈴、竹やぶのざわめき、古池に飛び込む蛙の音(芭蕉の教訓)・・・
色々ございます。
私が思う日本の音とは、自然の音、
ないし自然と結びつきの強い音、であると思います。
皆様にとっての日本の音とは、何ですか?
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2007/1/9 謹賀新年
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
平成19年、西暦2007年となります本年が
皆々様にとってお健やかで実り多き一年になりますよう、
心からのお祈りを申し上げたいと存じます。
本年も全国各地を訪れその度お騒がせをすることになるかと存じますが、
どうか私の一族並びにこの至らぬ私を引き続きよろしくお願い致します 。
さてその私共一族なのですが、
我々は年末年始は毎年とり決まった行事が多く、
この時期はのんびり年賀状を書いている訳には参りません。
まず年末30日に内輪で「すき焼パーティー」と題した忘年会があり、
31日は一族で一年の感謝を込めたお寺参り、
明けて1日は新年のご挨拶周り、
3日は妹の誕生日、4日は家元・中島靖 子の誕生日、
5日は「亥会」(亥年である唯是震一を中心に同じ干支の人が集ってお食事をする会。
ちなみに私は未)等々、イベントが目白押しでございまして、
私も幾分畏まった日一日を過ごしております。
本年は亥年という事で、祖父も12回目の年男という事になります。
祖父は相変わらず信じられない位に身も心も若く、
若干 27歳の私もその活力には依然圧倒されるばかりです。
祖母も先日の誕生日では大勢の仲間に祝してもらい、とっても幸せそうでした。
我々は誕生日の日にそれぞれが当人宛てにバースデー・カードを送る習慣があって、
各自が年に一度当人に伝えたい思いをそのメッセージに込めます。
私も祖父母や両親、叔母や姉妹達から
毎年心のこもったバースデー・カードを頂戴しておりま すが、
祖母から貰うカードに限って私には少し「怖い」ような感覚があって、
いつもそれなりに覚悟を決めて拝読しています。
といいますのも、私自身ここまでの人生を振り返ってみると、
真っ直ぐに思いを伝えるその祖母の言葉は
私の価値観に大きな影響を与えると同時に、
何かいつも私の死角にある客観性を投げ掛けてくるよう なところがあって、
そのメッセージには痛く反省させられるものです。
贈られた今までの手紙を読み返してみても、
私の人生の節目節目に祖母の言葉があります。
芸の師匠とはいえ、身近にこういう人がいてくれることは、本当に有難いことです。
今年はどんな一年になるのでしょうか。
期待と不安で一杯ですが、いずれも己の努力次第で大きくも小さくもなるのだと思います。
両親、祖父母へは精一杯の孝行を心掛け、
己に厳しく、人に優しく、健やかな日々を送って参りたいと思います。
本年もよろしくお願い申し上げます。
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